京都の歴史一覧

討幕の挙兵予定日は北野天満宮の祭礼の日・正中の変

蒙古襲来があった鎌倉時代中期以降、幕府の信用が悪化していきます。 幕府のために蒙古軍と戦った御家人たちに、恩賞として分け与える土地がなかったことがその理由です。 御家人たちの不満は、他にもありました。それは、幕府の政務を担当していた北条家の権力が強大化していったことです。 窮乏する御家人たちと違い、北条家だけ栄える状況に人々の不満が募るのは当然のこと。 さらに元亨元年(1321年)には、京都で台風、水害、地震といった天変地異が相次ぎ、庶民たちの暮らしも苦しくなっていきます。 加えて、元亨2年に東北で蝦夷が反乱を起こし、鎌倉幕府への不満が加速していきました。 ...

京都各地に散らばる血天井

慶長5年(1600年)は、関ヶ原の戦いが起こった年として有名ですね。 その関ヶ原の戦いが起こる前に京都の伏見城で、東軍と西軍の戦いが起こっています。 この年の6月18日に徳川家康は、上杉討伐のために東に出陣するわけですが、伏見城で家臣の鳥居元忠に別れを告げます。 鳥居元忠は、家康の留守中に西軍が伏見城を攻めてくることをわかった上で、城を枕に討ち死にする覚悟。 そして、7月19日に宇喜多秀家や吉川広家らが率いる西軍4万が伏見城にたてこもる2千名弱の鳥居勢に襲いかかります。 激しい攻防の末、8月1日に伏見城は落城、鳥居元忠と残兵380名余りは、自害して果てました。 ...

日本にも奴隷制度はあったのか?

西洋の歴史の中では、奴隷制度が出てきます。 西洋の奴隷は、人格を完全に否定され、自由も拘束された人たちだったわけですが、こういった奴隷制度が日本にもあったのでしょうか。 日本史の中では、西洋のような奴隷制度は、あまり出てこないので、なかったように思いますが、まったくなかったわけではありません。

国のために戦った英霊たちを祀る京都霊山護国神社

京都市東山区に建つ京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、明治維新以降、国のために戦った人たちの英霊が祀られています。 特に有名なのが、幕末の勤王の志士たちの慰霊碑で、墓地には坂本竜馬や中岡慎太郎のお墓もあります。 ここに訪れる多くの人は、幕末の志士たちに興味があるようですが、他にも第2次世界大戦で亡くなった人たちの英霊も祀られているので、そういった人たちの鎮魂のために置かれた慰霊碑なんかも見て欲しいですね。

京都市山科区にある佐治城碑

その昔、今の滋賀県甲賀郡に佐治氏という豪族が住んでいました。 居城としていたのは佐治城で、代々この城を守ってきました。 しかし、天正13年(1585年)に佐治城は落城、城とともに佐治氏も滅亡しました。

織田信長と信忠の碑がある大雲院

織田信長は、比叡山を焼き討ちしたり本願寺と長年にわたって争ったりと、宗教弾圧を行った事で有名です。 神をも恐れない人物、古い体制を壊して新時代を創造する人物、織田信長にはそういった印象がありますね。 でも、信長が全面的に宗教を否定していたのかというと、そんなこともなかったようです。

常盤御前が雪をしのいだ松の残株がある寶樹寺

平治元年(1159年)12月に起こった平治の乱は、平清盛が源義朝に勝利したことで終わりました。 しかし、負けた側の源義朝の家族にとっては、ここからが本当の戦い。 平清盛に捕えられると、当然ながら命の保証はないわけですから、とにかくどこかに逃げなければなりません。 義朝の妻であった常盤御前も、今若、乙若、牛若の3人の子供を連れて都から逃げることになりました。

幕末・明治維新の史跡まとめ

これまで、このブログでは、京都にある幕末、明治維新の史跡を多く紹介してきました。 数年前に書いたものは、ブログの奥底へと沈んでしまい、探すのが一苦労といった状態。 なので、幕末・明治維新の史跡を紹介した記事だけをまとめておきました。今後、追加する幕末や明治維新に関連した記事もこのページからリンクを貼る予定です。