上御霊神社の御霊合戦旧跡の石碑

戦国時代の幕開けとなったのは、文正2年(応仁元年/1867年)1月18日に始まった応仁の乱です。

この日、畠山政長と畠山義就(よしなり)との間で、畠山惣領の座を巡る合戦が起こりました。

畠山家の内紛だけでなく、足利将軍家の後継問題、斯波氏の内紛なども絡み、戦いは11年にもおよぶ長期戦となりました。

上御霊神社が応仁の乱発端の地

応仁の乱は、東軍と西軍に分かれて戦われました。

東軍を指揮したのは細川勝元、西軍を指揮したのは山名宗全でした。

畠山家は、政長が東軍、義就が西軍に加わります。

東軍の畠山政長は、京都市上京区の上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に陣を構えます。

上御霊神社は正式には御霊神社といい、また、御霊の森とも呼ばれていました。

上御霊神社境内の説明書によれば、畠山政長が当地に陣を構えたのは、境内が広く周囲に堀や川があり防御に適していたこと、近隣に細川勝元ら味方の邸宅があり援軍を期待できたことが理由とされています。

一昼夜続いた両者の戦いは、御霊合戦と呼ばれ、西軍の畠山義就が勝利し、東軍の畠山政長は敗走しました。

御霊合戦旧跡の石碑

上御霊神社の境内の南側には、この地が応仁の乱の発端の地であり、御霊合戦の旧跡であることを示す石碑が置かれています。

応仁の乱発端 御霊合戦舊跡

応仁の乱発端 御霊合戦舊跡

石碑の表字は、応仁の乱の東軍の総大将であった細川勝元の子孫である細川護熙(ほそかわもりひろ)元首相の揮毫(きごう)によるもの。

以前はなかったので、いつ建立されたのか、石碑の裏側を確認してみました。

石碑の裏側

石碑の裏側

建立したのは、「応仁の乱 東陣プロジェクト実行委員会」で、寄進者の名がたくさん記されています。

建立年月日は、平成29年(2017年)12月2日ですから、応仁の乱勃発から550年目ですね。

京都市内には、上京区を中心に応仁の乱関係の史跡がいくつも残っています。

こういった史跡を見て歩くのも、京都観光の楽しみのひとつですね。

上御霊神社の境内は、今も木々が多く、かつてこの地が御霊の森と呼ばれていた頃の名残があります。

周辺は民家が建ち並んでいますが、境内は比較的静かです。

上御霊神社に参拝した際は、御霊合戦旧跡の石碑も、ぜひご覧になってください。

なお、上御霊神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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