京都に関係する人物一覧

明治天皇生誕の地・中山邸跡

京都御所の一般公開で、明治天皇紀附図のパネル写真が一部公開されていました。 その中で、京都御苑の北側にある中山邸跡が明治天皇生誕の地として紹介されていたので、御所の拝観を済ませた後に中山邸跡にも寄ってみることにしました。 中山邸跡は、以前にも見たことはあったのですが、通り過ぎる時についでに見る程度だったので、今回はじっくりと見学することに。

幕末より100年も前に尊王思想を唱えた藤井右門

京都市上京区の同志社大学の近くを歩いていると、人の背よりも高い石碑を発見しました。 その石碑の前の説明書には、藤井右門(ふじいうもん)宅跡と書かれていました。 藤井右門は、忠臣蔵でおなじみの赤穂藩の家臣であった藤井又左衛門の子で、赤穂藩取り潰しの後、又左衛門が移り住んだ越中国射水で享保5年(1720年)に生まれました。

安倍晴明の墓と蘇生伝説

平安時代中期の陰陽師(おんみょうじ)と言えば、安倍晴明。 夢枕獏の小説「陰陽師」の中で、安倍晴明は、都に跋扈(ばっこ)する魔物たちを呪法によって退治するモンスターハンターのように描かれています。 そんな安倍晴明も人間なので、やがて寿命が訪れます。 彼は、寛弘2年(1005年)9月26日に85歳でこの世を去ったと伝えられています。

新撰組を脱走した山南敬助が眠る光縁寺

慶応元年(1865年)2月21日。 ひとりの新撰組隊士が脱走しました。 その隊士の名は、山南敬助(やまなみけいすけ)。 山南敬助は、局長の近藤勇(こんどういさみ)に次ぐ総長の役職にありました。 組織ナンバー2の山南敬助が脱走したのは、何が原因だったのでしょうか。

平安時代の美男子は塩焼きが好きだった?

京都市には海がないのに海水を焼いて塩を取る塩焼きが行われた場所が2つあります。 ひとつは西京区の十輪寺で、もうひとつは下京区の本覚寺です。 塩焼きが行われたのは、平安時代前期です。 十輪寺では在原業平(ありわらのなりひら)が、本覚寺では源融(みなもとのとおる)が塩焼きをしました。