勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭跡
京都には、幕末や明治維新の史跡が多く残っています。 有名なものから、あまり人に知られていないものまで。 一体どれくらいあるのかはわかりませんが、その数の多さは、他の時代の史跡よりも相当多いでしょうね。 京阪電車の三条駅の南にバスターミナルがあります。 そのバスターミナルの南側のビルには、勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭の後を示す石碑が立っています。
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京都には、幕末や明治維新の史跡が多く残っています。 有名なものから、あまり人に知られていないものまで。 一体どれくらいあるのかはわかりませんが、その数の多さは、他の時代の史跡よりも相当多いでしょうね。 京阪電車の三条駅の南にバスターミナルがあります。 そのバスターミナルの南側のビルには、勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭の後を示す石碑が立っています。
坂本竜馬の妻のお竜(りょう)さんは、寺田屋で竜馬が幕府の役人に捕えられそうになった時、入浴中だったにもかかわらず、着るものも着ずにその危険を彼に報告したことで知られています。 そのお竜が、坂本竜馬と出会う直前まで住んでいたとされるのが、木屋町です。 現在、木屋町の都会館という建物の前にお竜の寓居跡を示す石碑が立っています。
鎌倉時代に藤原定家という文化人がいました。 歴史の教科書にも出てくる人物なので、その名くらいは聞いたことがあるでしょう。 藤原定家と言えば、小倉百人一首を選んだ人物、新古今和歌集の編纂に関わった人物として有名ですね。 嵐山には、時雨殿(しぐれでん)という小倉百人一首のミュージアムがあり、その辺りには、藤原定家が小倉百人一首を選んだ時雨亭がありました。 なので、藤原定家ゆかりの地として嵐山がよく知られていますが、実は、彼の邸宅は、京都市中京区の寺町二条にあったんですよね。
京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、展望台があります。 石清水八幡宮が鎮座する男山は、京都市の南の方角にあり、展望台は山の北側に設けられています。 この展望台の一角に谷崎潤一郎文学碑が置かれています。
江戸時代前期の芸術家の本阿弥光悦ゆかりのお寺が、京都市北区の鷹峯(たかがみね)にあります。 そのお寺は光悦寺です。 本阿弥光悦は、近衛信尹(このえのぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とともに寛永の三筆と称されるほど書がうまかったということですが、他にも陶芸や蒔絵にも才能を発揮したことで知られています。 そういった芸術の才能が育まれたのは、やはり、鷹峯といった景観の美しい地で生まれ育ったからなのかなと思ってしまいますが、実は、彼が鷹峯に移ったのは、58歳の時で、若いころは、現在の京都市上京区に住んでいました。
京都市中京区の新町通蛸薬師下ルに白い壁の倉庫のような建物があります。 この辺りには、企業の建物が並んでいるので、おそらく、それらのひとつと思います。 その白壁の建物の近くに立札があるのに気づいたので、そこに何が書いてあるのか読んでみることにしました。 すると、この地は、江戸時代の京都の豪商・茶屋四郎次郎と茶屋新四郎の屋敷跡だったことがわりました。
京都府八幡市に建つ善法律寺には、忠臣蔵と関係のある人物の墓塔があります。 その人物とは、覚運です。 あまりなじみのない名前ですが、覚運は、大石内蔵助の養子になった人物で、後に男山四十八坊のひとつ大西坊を再興したお坊さんです。
元治元年(1864年)6月5日。 この日は、京都市中京区の三条木屋町にあった池田屋に新撰組が討ち入った日です。 今からちょうど150年前の出来事ですね。 このブログでは、以下の記事で池田屋事件を紹介しています。 池田屋事件の跡地は今どうなっているのか? 事件から、ちょうど150年にあたる節目の年なので、再び、今回の記事でも池田屋事件のことを採り上げます。 ただ事件の内容を改めて書くと、過去記事と同じになってしまうので、今回は、池田屋事件でとばっちりを受けた不幸な人々を紹介します。
建武2年(1334年)7月に足利直義によって後醍醐天皇の皇子の護良親王(もりながしんのう)が暗殺されました。 暗殺した時、誰もいないと思われていた室内ですが、実は、この暗殺の現場を見ていた女性がいたのです。 それは、護良親王に仕えていた南の方です。南の方は、それを知らせるために都に戻りました。 南の方の話を聞いた後醍醐天皇は、足利尊氏と直義の討伐を考えます。 2人は、鎌倉にいたので、その討伐のために誰かを派遣しなければなりません。 その候補となったのが、新田義貞です。
毎年10月22日に京都で行われる時代祭。 人々が歴史上の人物に扮した行列が、京都の街を練り歩く時代祭は、京都三大祭のひとつです。 男性の場合、坂本竜馬、羽柴秀吉など、有名な人物が多いのですが、女性の場合は聞きなれない人がたくさん登場します。 もちろん清少納言や紫式部といった有名どころも登場しますが、そうでない女性が多いように感じます。 その中でも、江戸時代の玉蘭という女性をご存知の方は少ないのではないでしょうか。