薄茶の先達東陽坊長盛の墓・真如堂

京都市左京区に建つ真如堂の墓地に東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)のお墓があります。

東陽坊長盛は、聞き馴染みのない名かもしれませんが、安土桃山時代の茶人で、真如堂東陽坊の住職になった人物です。

北野大茶会で建てられた東陽坊

東陽坊長盛は、薄茶の先達として知られています。

薄茶とは、抹茶のひとつで、濃茶よりも抹茶の量を少なくしてたてたお茶のことです。

製法自体は濃茶と変わらないのですが、古木ではなく比較的若い茶の木から採れた葉から製している点で薄茶は濃茶と異なっています。

東陽坊長盛は、大茶人の千利休に茶の湯を学んでいます。

天正15年(1587年)に豊臣秀吉が盛大に開催した北野大茶会で立てられた茶室「東陽坊」は、東陽坊長盛好みの茶室です。

現在、茶室の東陽坊は建仁寺の方丈裏庭に移築されています。

建仁寺は、鎌倉時代に宋の国から茶を持ち帰ってきた栄西が源頼朝の帰依を受けて創建した禅寺です。

栄西は、茶の栽培方法や効用を説いた日本の茶祖とされるお坊さんです。

著書に喫茶養生記がありますね。

東陽坊長盛は、慶長3年(1598年)に84歳でこの世を去っています。

当時としては、とても長生きですね。

真如堂の墓地に行くと、東陽坊長盛のお墓を示す矢印があります。

どこに東陽坊長盛のお墓があるのか非常にわかりにくく、どれがそうなのか、探すのに時間がかかりました。

でも、その矢印から2メートルほど先に東陽坊長盛のお墓を見つけました。

広い墓地なので、奥の方まで探しに行ってしまいましたが、案外近くにあったんですね。

下の写真に写っているのが、東陽坊長盛のお墓です。

東陽坊長盛の墓

東陽坊長盛の墓

あまり大きなお墓ではありませんし、他のお墓と比較しても、これといった特徴がないように思えます。

見る人が見れば、貴重なお墓なのかもしれませんが、私のような凡人だと他のお墓との違いがわかりません。

ただ、かなり古いお墓であることはわかります。

上の写真に写っているのが東陽坊長盛のお墓だとわかったのは、「東陽院」と「大僧都法印長盛」という文字が書かれていたからです。

この文字がなければ、おそらくお墓を見つけることはできなかったでしょうね。

茶道に興味があり、薄茶を好まれる方は、東陽坊長盛のお墓詣りに真如堂を訪れてはいかがでしょうか。

ついでに建仁寺の茶室東陽坊も見ておきたいですね。

なお、真如堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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