京都市伏見区に建つ藤森神社(ふじのもりじんじゃ)では、毎年5月5日に藤森祭が催されます。
藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭とされていることもあり、当社は勝運の神さまとして崇められています。
また、藤森祭では駈馬神事が行われることもあり、馬の神さまとして競馬関係者やファンの間でも人気となっています。
高齢化社会を迎えた現代日本にあって興味深いのは、祭神の舎人親王(とねりしんのう)がゲートボールの神さまとしても崇敬されていることです。
学問の神さま舎人親王
藤森神社には、京阪電車の墨染駅から北東に約5分歩くと到着します。
JR藤森駅からだと、西に徒歩約5分ですね。
境内は南北に長く、南の鳥居をくぐって、駈馬神事の馬場として使われる参道を北に3分ほど歩き、割拝殿をくぐった先に本殿が建っています。

本殿
本殿前の「学問の祖神 舎人親王御神前」と刻まれた角ばった石柱がいかめしく感じられる。

学問の祖神 舎人親王御神前
本殿の左前にも、中央の黒光りする石に「学藝の祖 舎人親王崇敬碑」と刻み、左右に説明書が記された石碑が置かれています。

学藝の祖 舎人親王崇敬碑
2つの石碑を見るだけでも、舎人親王が学問の神さまとして崇められていることが伝わってきます。
なぜゲートボールの神さまとして崇められるようになったのか
舎人親王は、日本書紀の編纂に関わっており、それが現代でも学問の神さまとして崇敬されている理由です。
学問の神さまとゲートボールの神さま。
一体どこでどうやって両者が結び付いたのか。
その答えもまた日本書紀がカギを握っています。
大化の改新(645年)は、中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を暗殺する乙巳(いっし)の変から始まりました。
前年に二人は、どうやって入鹿を暗殺するか策を練ったわけですが、それは、飛鳥の法興寺で打毬(だきゅう)をしている時に行われたことが、日本書紀に記されています。
打毬は、馬に乗った者たちが2組に分かれ、毬杖(ぎっちょう)と呼ばれる杖を使って毬を打ち、自分の組の毬門に入れる競技。
見たことはありませんが、想像するに馬に乗ってホッケーをするような競技なのでしょう。
馬に乗らずに杖で毬を打って門を通せば、それはまさにゲートボール。
ということで、乙巳の変に打毬が関係していることを記した日本書紀の編者である舎人親王が、ゲートボールの神さまになったんですね。
京都新聞社編の『京の社寺を歩く』によれば、打毬は戦国時代に廃れたものの、やがて、庶民の間で広まっていったそう。
毬杖は、新春、天皇へ献上され、1月15日と18日に3本組み立てた杖の中に注連縄(しめなわ)や書き初めを納めて燃やす儀式が行われていました。
それが、今日、正月に全国で見られる左義長につながっています。
同書によれば、1月15日にゲートボールの打ち初めが藤森神社で行われていると紹介されているのですが、そのような行事は聞いたことがありません。
2000年に出版された書籍なので、ゲートボールの打ち初めは、その頃にだけ行われていたのかもしれませんね。
とは言え、今でも舎人親王を祀っていますから、ゲートボールをされている方は、1月15日にその上達を祈願しに藤森神社にお参りしてはいかがでしょうか。
なお、藤森神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。