初秋の法住寺で咲くサルスベリ・2024年

9月上旬。

京都市東山区の法住寺に参拝しました。

法住寺は、後白河法皇の院の御所法住寺殿があった地に建っています。

かつては、広大な敷地を有していた法住寺殿ですが、現在の法住寺は、小ぢんまりとしています。

サルスベリが残る

法住寺には、京阪電車の七条駅から東に約7分歩くと到着します。

市バス停「博物館三十三間堂前」からだと南に徒歩約3分です。

近くの赤十字は、工事が行われており、建物が取り壊されていました。

また、北隣に建つ養源院は、この日は拝観を中止していました。

最近の養源院は、拝観日が定めれることが多いので、訪れる前に養源院のSNSで確認しておいた方が良いですね。

法住寺の山門前にやって来ました。

山門

山門

山門をくぐって境内へ。

境内

境内

萩は、花が咲いていませんでした。

萩

法住寺の萩は、6月頃に咲き始めていたので、9月には花が終わるのかもしれませんね。

八重紅枝垂れ桜は、緑色で、夏の姿を留めています。

八重紅枝垂れ桜

八重紅枝垂れ桜

それでは、不動堂に入り、身代り不動尊にお参りをしましょう。

不動堂

不動堂

法住寺は、天台宗のお寺で、永祚元年(989年)に右大臣藤原為光が、その夫人と火山天皇の女御となった娘の忯子(しし)の菩提を弔うために創建したのが始まりです。

寺域は、広大で、北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶほどだったとのこと。

その後、火災により荒廃し、保元3年(1158年)に後白河天皇が法住寺の地を院の御所と定めました。

現在、法住寺の西に建つ三十三間堂も、法住寺殿の敷地内に造営されたものです。

明治維新後、法住寺の東にある後白河天皇陵が宮内庁所管となったことから、御陵とお寺が別とされ、大興徳院と改められましたが、昭和30年(1955年)に再び法住寺と名を戻しています。

不動堂に祀られているお不動さまは、後白河天皇の守護仏として崇められていたものです。

不動堂から見る境内。

不動堂から見る境内

不動堂から見る境内

空は、まだ真夏のようであります。

そして、サルスベリもまだ元気に花を咲かせていました。

サルスベリ

サルスベリ

今年は、9月に入っても猛暑日が続いているためか、サルスベリが元気ですね。

境内の木々の緑も、真夏のまま。

木々の緑

木々の緑

ちょっと歩いただけで汗をかいたので、手水鉢の水で洗い流すことに。

手水鉢

手水鉢

冷たい水が気持ち良いですね。

しかし、その気持ち良さもほんのわずかな時間だけ。

それでも、体の熱が少し冷めたので、法住寺から出ることに。

道路の向こうにもくもくとわき立つ白雲。

青空

青空

空は、まだ8月上旬のようです。

9月上旬の法住寺では、サルスベリがまだ見ごろを保っていました。

参拝者はちらほらといましたが、いつものように境内は静かでしたよ。

この後は、智積院に参拝します。

なお、法住寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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