京都市内には五重塔が4ヶ所にあります。
その中でも、京都駅に近い東寺の五重塔が最も有名です。
弘法大師空海が、天長3年(826年)に創建に着手した五重塔は、過去4回焼失していますが、寛永21年(1644年)に徳川家光の寄進で再建され、現在にいたっています。
東寺の五重塔は、焼失はしたものの、地震で倒壊したことは一度もありません。
それは、五重塔が耐震構造となっているからです。
各層が独立して重ねられている
東寺には、近鉄電車の東寺駅から西に約5分歩くと到着します。
境内に入らずとも、交差点から五重塔を眺められますが、一度は間近で見たいですね。
五重塔は、初層から五層まで積み上げられ、屋根が5つあることから、そう呼ばれているわけですが、木造建築のため地震に弱そうに見えます。
でも、実際には、この構造だからこそ地震に強いのです。
東寺の五重塔は、花崗岩の基壇の上に建っており、中心には心柱(しんばしら)と呼ばれる長い柱が据えられ、塔の一番上までつながっています。
そして、心柱の周囲には四天柱(してんばしら)と呼ばれる4本の円柱があります。
中心から空に向かって立てられた心柱が塔を支え、地震に強い構造になっているのだと思うかもしれませんが、そうではありません。
五重塔の初層は、1本の心柱、4本の四天柱、12本の円柱の合計17本の柱がありますが、この中で初層から五層目まで貫いている柱は心柱だけです。
2層目も、初層と同じく、4本の四天柱と12本の円柱が立っていますが、初層とは独立しています。
五重塔の塔身は、上に行くにしたがって小さくなりますが、基本的には、二層目から五層目まで初層と構造は同じです。
つまり、1階建ての建物を上に5つ重ねたような構造になっているんですね。
なんとも頼りない構造に思えますが、これこそが、五重塔が地震に強い理由なのです。
東寺の五重塔の特別公開の時にいただいた拝観案内によると、このような柔構造により、地震のエネルギーは接合部で吸収され、上層へ伝わるにつれて弱くなるとともに、下と上の層が互い違いに振動するようになっているのだとか。
そして、柱も各層では短いため、倒れようとする力よりは元に戻ろうとする復元力の方が大きいので、地震に強いと考えられているそうです。
心柱が、地震の揺れから塔全体を守っているのではないんですね。
心柱は相輪を支えている
では、五重塔の中心に立つ心柱はなんのためにあるのでしょうか。
五重塔の先端には、相輪と呼ばれる細長い棒が立っています。
『東寺の謎』という書籍によれば、五重塔はインドのストゥーバが起源とのこと。
ストゥーバは、お釈迦さまの遺骨を安置する舎利塔で、当初は土饅頭(どまんじゅう)だったのですが、仏教が中国を経て日本に伝えられると、五重塔の頂上に立つ相輪に変化しました。
相輪の一番上にある俵型をしているのが宝珠で、その下にあるちょっと大きな俵型の物体が龍舎(りゅうしゃ)です。
龍舎の下の毛羽だったように見えるのは水煙(すいえん)、その下の9つの輪っかのようなものをまとめて九輪(くりん)といい、その下が受花(うけばな)と呼ばれています。
受花の下にある鏡餅の下側のような形をしているのが伏鉢(ふくはち)で、これが土饅頭を表しています。
そして、伏鉢の下にあるのが露盤(ろばん)です。
心柱の役割は、この相輪を支えることにあったのです。
心柱は大日如来
でも、心柱は、ただ相輪を支えるだけの存在ではありません。
五重塔の初層は、密教の世界を表現しており、五如来が安置されています。
ところが、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来、不空成就如来は四天柱に設けられた須弥壇(しゅみだん)に祀られていますが、真言密教の主尊である大日如来はどこにも見当たりません。
本来、中心にいらっしゃらなければならない大日さまですが、五重塔の中心には心柱が立っています。
そう、心柱こそが五重塔の初層に表現された密教の世界の中心であり、まさに大日如来なのです。
宇宙の心理をあらわす大日さまを天に向かって延びる心柱に見立てているところに深い意図があるのでしょうね。
夜間拝観時にライトアップされる五重塔は、光り輝く大日さまを表現しているのでしょうか。
東寺の五重塔は、上ることはできませんが、年に何度か初層が特別公開されることがあります。
特別公開が行われている時は、ぜひ、五重塔初層をご覧になってください。
なお、東寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。