「世界遺産」一覧

西本願寺にある広隆寺の梵鐘

京都市下京区に建つ西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山ということもあり、境内は広く、様々な文化財も保存しています。 それら文化財の中には、かつて、右京区の太秦(うずまさ)に建つ広隆寺で使われていた梵鐘もあり、重要文化財に指定されています。

下鴨神社の印納社は古くなったハンコを埋納してくれる

日本国内には、変わった願い事を叶えてくれたり、珍しいご利益を授けてくれたりする神さまを祀る神社がいくつもあります。 京都市左京区の下鴨神社の境内に建つ印納社(いんのうのやしろ/いんのうしゃ)も、そういった神社の一つ。 印はハンコのことですから、印納社は、古くなったハンコを納める社だということが、その名からわかるかと思います。 下鴨神社の説明書にも、「古印を納め御守護を仰ぐお社」と記されています。

糺の森は賀茂川と高野川の合流地点が由来

糺(ただす)の森は、京都市左京区に残る原生林。 下鴨神社が鎮座する地として古くから京都人に親しまれてきた地。 森の中に入ると気温が幾分低く感じられることから、暑い夏でも比較的涼しく感じられます。 糺の森の語源は諸説ありますが、この辺りの地形が由来とする説が現在に伝えられています。

洛中洛外から名木名石を集めた銀閣寺の池泉回遊式庭園

室町時代に足利義政が造営した銀閣寺には、錦鏡池(きんきょうち)を中心とした池泉回遊式庭園が設けられています。 錦鏡池のほとりに建つ観音殿の銀閣は、黒っぽい外観のためか、水面に映る姿に落ち着きを感じます。 金閣寺のような派手さはないものの、いつまでも眺めていたくなる景色。 その錦鏡池を見ていると、たくさんの石で囲まれているのに気づくとともに、池の中にも所々に大きな石が置かれているのがわかります。 これらは、足利義政が洛中洛外から集めてきた名石です。

岡崎神社に見ごろを迎えた八重紅枝垂れ桜を見に行った・2026年

4月上旬に京都市左京区の岡崎公園に桜を見に行った後、北東に約8分歩き、岡崎神社に参拝しました。 岡崎神社は、桜の印象が薄いですが、境内には八重紅枝垂れ桜が植えられています。 京都市内はソメイヨシノが終わりに近づき、代わって八重紅枝垂れ桜が見ごろを迎え始め、岡崎神社でも良い具合に咲いていました。

第1回京都博覧会の会場となった建仁寺、知恩院、西本願寺

幕末に長州藩が京都御所を攻撃する蛤御門(はまぐりごもん)の変が起こり、京都市中では多くの家屋が焼失しました。 さらに明治になって首都が東京に遷ったことにより、京都はこのままさびれていくだけかと思われました。 しかし、長州藩士の槇村正直(まきむらまさなお)が、明治元年(1868年)より権大参事(ごんのだいさんじ)となったことで京都の復興が進み、明治5年には第1回京都博覧会が催され、京都に活気が戻り始めました。

下鴨神社の縁結びの連理の賢木は女性は右から男性は左から回る

京都には、縁結びのご利益を授けてくれる神社がいくつもあります。 その中には、参拝の作法が決まっているところもあり、下鴨神社の相生社(あおいおいのやしろ)の御神木である連理の賢木(れんりのさかき)も、女性は右から男性は左から回らないといけないとされています。 これは、日本神話の国生み神話が由来です。

醍醐の花見を描いたがために入牢となった喜多川歌麿

慶長3年(1598年)に催された醍醐の花見は、豊臣秀吉の最後の派手な行事となりました。 正室の北政所や側室たちを連れ、総勢1300人で花見をしたということですから、太閤秀吉の栄華がよくわかる話です。 また、秀吉は、応仁の乱(1467年)で、ほとんどの建物を失った醍醐寺を花見を機に再興し、世界遺産に登録されるほどのお寺にしています。 だから、醍醐寺にとって秀吉は大恩人なのですが、一方で、彼が催した醍醐の花見がきっかけとなって牢屋に入れられた人物もいました。 その人物は、江戸時代の絵師喜多川歌麿です。

平安時代から残る醍醐寺の五重塔、平等院の鳳凰堂、宇治上神社の本殿

京都に都が遷されたのは延暦13年(794年)です。 でも、平安時代から現代までずっと残っている建物は少ないです。 その少ない平安時代から残る建物ですが、京都の南の伏見区と宇治市に行けば見られます。 醍醐寺、平等院、宇治上神社には、約1000年前に建立された建物が現存しています。