三十三間堂を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。
三十三間堂(蓮華王院)
由緒
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は、正式には蓮華王院という。三十三間堂の名は、本堂内陣の柱間が三十三間あることに由来する。天台宗。
三十三間堂は、長寛2年(1164年)に後白河法皇の勅願により、平清盛が法住寺殿内に建立したのが始まり。
その後、寿永2年(1183年)に木曽義仲によって法住寺殿が焼討ちにあい、また、建長元年(1249年)の大火で焼失した。
焼失後は、ただちに再建が行われ、文永3年(1266年)に完成し、ほぼ現在の姿となっている。
しかし、再建後は朝廷の権力が弱くなり徐々に荒廃。
永享5年(1433年)に室町幕府によって修造が行われた。
安土桃山時代になると豊臣秀吉によって方広寺に編入され、千手堂と呼ばれるようになる。
その後は、明治時代まで妙法院の管理下に置かれた。
大的大会
毎年1月15日に近い日曜日に三十三間堂で行われる大的大会。通し矢とも呼ばれる。大的大会では、多くの新成人が60メートル先の的に向かって矢を射る。
池泉と庭園
正和36年(1961年)に京都の造園家である中根金作によって築庭された庭園。鎌倉時代の作庭法によって造られたもので、庭園には四季折々の花が咲く。
法然塔
元久元年(1204年)3月に後白河法皇の13回忌を土御門天皇が行った際に法然が六時礼賛の法要を修したことから造られた碑。
夜泣泉
三十三間堂境内にある夜泣泉。いつも冷たくおいしい水で、飲んでもお腹を痛めない。また、どんなに汲んでも尽きない泉とされている。夜に水の湧きだす音を聞くとすすり泣いているように聞こえることから夜泣泉と呼ばれる。
鐘楼
平成元年(1989年)に比叡山開創1200年を記念して再建された鐘楼。梵鐘は人間国宝の香取正彦の最晩年の作。
三十三間堂の所在地
〒605-0951
京都市東山区七条通東大路西入ル三十三間堂廻り町657(地図)
三十三間堂への行き方
京阪七条駅から徒歩約5分
市バス「博物館三十三間堂前」から徒歩約1分
※拝観料600円が必要。
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