後白河法皇にも効果があった。頭痛平癒のお参りは三十三間堂へ。

頭痛に悩む現代人が多いそうですね。

仕事でパソコンを使ったり、携帯電話の画面を長時間見続けたりといったことが理由といわれることがあるので、あまり目を酷使しない方が良いのかもしれません。

頭痛に悩んでいたのは、現代人だけではありません。

平安時代末期には、後白河法皇も頭痛に悩まされ、それが理由で平清盛が三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)を創建したとも伝えられています。

前世は熊野権現の行者だった?

後白河法皇が頭痛に悩まされていた原因は、前世にあると伝えられています。

法皇の前世は、熊野権現(くまのごんげん)の行者でした。

その行者が、亡くなった時、誰にも葬られることがなく、やがてドクロを貫いて柳の木が成長し大木になりました。

そして、法皇が頭痛に悩まされるのは、風が吹いた時にこの柳の木が揺れることが原因だと語られるようになります。

これは単なる噂話なので、後白河法皇の頭痛の原因がなんだったのかはわかりません。

当時は、医学も発達していなかったので、病気を治す手段として加持祈祷が行われることがありました。

後白河法皇は、法住寺殿と呼ばれる政庁に住んでいました。

その中に頭痛平癒を目的として創建した仏殿が三十三間堂だったのです。

法住寺

法住寺

三十三間堂には、千体もの等身大の千手観音像が祀られています。

千手観音像の中には自分が会いたい人と同じ顔をした像があるなんて言われていますね。

さて、後白河法皇の頭痛ですが、期待通り、三十三間堂の完成と共に平癒しました。

そのため、三十三間堂の千手観音は、頭痛平癒に霊験あらたかだと信仰されるようになり、いつの間にか、三十三間堂は、頭痛山平癒寺という名で人々に親しまれるようになりました。

楊枝のお加持

三十三間堂では、毎年、1月15日に近い日曜日に新成人たちによる通し矢が行われます。

新成人でにぎわう三十三間堂

新成人でにぎわう三十三間堂

冬の風物詩として、ニュースになることもあるので、ご存知の方も多いことでしょう。

この通し矢が行われる日には、楊枝(やなぎ)のお加持(かじ)といわれる法要も行われます。

楊枝のお加持は、柳の枝を使って浄水を参拝者の頭上に振り掛け、功徳を分け与える法要です。

このお水が、頭痛に効くと伝えられています。

柳の枝を使って参拝者に浄水を振り掛けることが、後白河法皇の前世と関係があるのかどうかはわかりません。

以前に紹介した「タイムトラベル もうひとつの京都」という書籍の中では、鎮痛剤に使われるアスピリンが柳と関係しており、それが仏教の一部の世界でも、民間療法レベルで知られていたのかも知れないと述べられています。

三十三間堂の完成後に後白河法皇の頭痛が治ったこと。柳に何らかの鎮痛効果があるのを当時の人々が知っていたこと。

後白河法皇の前世についての噂話は、これらが理由で生まれたのかもしれませんね。

なお、三十三間堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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