1月下旬に京都市右京区の妙心寺に参拝した時、塔頭(たっちゅう)の麟祥院(りんしょういん)を拝観しました。
麟祥院は、通常非公開の寺院ですが、毎年冬に行われる非公開文化財特別公開の京の冬の旅で、1月10日から3月18日まで特別拝観できます。
これまで、麟祥院の建物内に入ったことがなかったので、この機会に見ておこうと思い拝観することにしました。
海北友雪の雲龍図
麟祥院の最寄り駅は、JR花園駅です。
駅から北東に5分ほど歩き、妙心寺の境内に入って、さらに北に5分ほど歩くと麟祥院が建っています。
京福電車だと妙心寺駅から南に徒歩約5分ですね。
麟祥院の入り口には、特別公開の案内が出ていました。
山門をくぐると、右手に受付があるので、ここで拝観料600円を納めます。
そして、参道を進み、玄関から建物の中に入ります。
最初に拝観するのは方丈です。
方丈内では、ガイドの方から麟祥院の成り立ちや寺宝を解説していただけます。
麟祥院は、寛永11年(1634年)に徳川家光が乳母の春日局の香華所(こうげしょ)として、碧翁愚完(へきおうぐかん)を開山に迎えて建立したのが始まりです。
当初は、現在地よりも少し南東にあったそうです。
方丈内に本尊として祀られているのは、宝冠釈迦如来で、両脇には阿難尊者と迦葉尊者(かしょうそんじゃ)が安置されています。
春日局は、明智光秀の家臣の斎藤利三の娘で、幼少の頃はお福と呼ばれていました。
斎藤利三は、本能寺の変で織田信長を討った後、山崎の合戦で討死します。
生前、斎藤利三は、画家の海北友松(かいほうゆうしょう)と親交があり、利三の亡骸は海北友松によって左京区の真如堂に葬られました。
その真如堂の墓地には、海北友松のお墓もあり、斎藤利三のお墓と並んで建っています。
海北友松の子の海北友雪(かいほうゆうせつ)は、父の縁から春日局に支援されます。
友雪は一介の町絵師でしたが、春日局のおかげで徳川家光に拝謁を許され、やがて立派な絵師となります。
そして、春日局が亡くなると、その菩提寺である麟祥院の方丈の襖に雲龍図を描きました。
雲龍図には、2頭の龍が描かれており、角が上を向いている龍が雄、角が下を向いている龍が雌とのこと。
雲龍図は写真撮影禁止だったので、掲載することはできません。
ちなみに東山区の建仁寺には、海北友松の雲龍図があり、こちらは写真撮影可能ですよ。
父子それぞれの雲龍図をぜひ見比べてください。
方丈内には、他にも、春日局が当院創立を記念して徳川家光から賜った百椿図屏風(ひゃくちんずびょうぶ)も展示されていました。
たくさんの種類の椿が、金色の屏風に描かれており、とても贅沢な椿の図鑑のようでしたよ。
御霊屋と方丈庭園
方丈内を拝観した後は、御霊屋へ。
御霊屋は、後水尾天皇から賜った釣殿を移築したもので、中には、春日局の木像が安置されています。
建物も木像も小堀遠州作とのこと。
天井は、折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)で、天井からシャンデリアのように吊られた天蓋(てんがい)には、星や軍配の装飾が施されていました。
方丈の南側には、コケが敷き詰められた方丈庭園が配されています。
十三世住職土屋琢道の作庭です。
庭園には緩やかな築山があり、枯滝組や石橋、舟石を据えています。
枯山水庭園なのですが、白砂が敷き詰められた平坦なものとは違います。
築山があることで、庭園全体に動きのようなものを感じますね。
玄関にある花頭窓から庭園を眺めます。
花頭窓の奥には、鯱(しゃちほこ)が置かれていました。
この鯱は、淀城にあったものだとか。
淀城は、春日局の嫁ぎ先である稲葉家の居城だったことから、その縁で当院に寄進されたそうです。
麟祥院の拝観を終えたので、玄関から参道へ。
山門の近くには、春日稲荷が祀られていました。
春日局と何か関係があるのでしょうか。
なお、麟祥院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。