晩夏の金戒光明寺の風景・2020年

8月下旬に京都市左京区の満願寺に参拝した後、北東に7分ほど歩いて金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)にやってきました。

金戒光明寺は、浄土宗四ヵ本山のひとつで、黒谷に広大な敷地を有しています。

幕末には会津藩が宿泊したお寺としても知られていますね。

金戒光明寺には、年に何度か参拝に来ることがあり、夏にも数回お参りしています。

五劫思惟阿弥陀仏

市バス停「岡崎神社前」から、岡崎別院岡崎神社の間にある細い道を北に3分ほど歩くと、金戒光明寺の南門が現れます。

その南門を少し進むと、墓地の入り口に到着します。

墓地の入り口付近では、五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)のパネルが置かれていました。

五劫思惟阿弥陀仏のパネル

五劫思惟阿弥陀仏のパネル

五劫思惟阿弥陀仏は、近年、アフロの阿弥陀さまとして人気があり、金戒光明寺も、それをアピールしているような感じですね。

実物の五劫思惟阿弥陀仏は、上のパネルから東に進み、石段を少し上がった場所にいらっしゃいますよ。

五劫思惟阿弥陀仏

五劫思惟阿弥陀仏

人々を救おうと、長い期間、一心不乱に修行し続けた結果、髪が渦を巻くほど長く伸びたそうです。

墓地付近のテントでは、扇風機が置かれていました。

扇風機

扇風機

この日も、最高気温が37度と非常に暑かったです。

扇風機からはミストが出ており、テントの中に入ると、ひんやりとした風が心地よかったです。

手をミストに当てても、水の粒子が細かいためか、濡れることがありません。

しばらく、ここで涼んでいきましょう。

テントの近くの蓮池は、ハスの葉で覆われていました。

蓮池

蓮池

ハスの花は、1つだけ咲いていましたよ。

蓮池は、兜の池とも呼ばれています。

平安時代末期、源平合戦で有名な武将の熊谷直実が、この地に庵を結んでいた法然上人を尋ね、出家を決意し、兜を置き、その緒を切り、弓を池に架けた形が起源と言われています。

境内には、熊谷直実鎧掛けの松もありますよ。

蓮池には、極楽橋と呼ばれる石橋が架かっています。

極楽橋は、寛永5年(1628年)に春日局が、徳川秀忠の正室の崇源院の御台墓(みだいばか)を建立し、参詣するために架けたものです。

当初は木造でしたが、同10年に豊永堅斎が秀忠の追善菩提のために山上に三重塔を建立し、その翌年に極楽橋を石橋に作り替えています。

蓮池は、江戸時代の都花月名所にハスの名所と謳われており、今もなお、夏にはきれいな花を咲かせます。

夏の終わりの風景

蓮池から西に歩きます。

境内のちょうど南に来ると、大きな山門が現れます。

山門

山門

金戒光明寺に参拝する際は、この山門をくぐりたいところです。

でも、石段を登らないといけないので、夏の暑い日は無理しない方が良いでしょう。

山門の北の石段を上った先には、御影堂(みえいどう)が建っています。

御影堂

御影堂

遠くからだと小さな建物に見えますが、間近で見ると、その巨大さに驚きますよ。

こちらは、阿弥陀堂です。

阿弥陀堂

阿弥陀堂

中には金色の阿弥陀さまが祀られていますよ。

今回は、阿弥陀堂にお参りをしましょう。

阿弥陀堂の天井には、龍が描かれています。

これまで何度も阿弥陀堂にお参りをしていますが、天井の龍には全く気づきませんでした。

同じ場所に何度も通うことで、新たな発見があるものです。

阿弥陀堂の北に建つ唐門。

唐門と梅

唐門と梅

唐門の前の梅は、鮮やかな緑色の葉をたくさん付けていました。

もう夏も終わりが近づいているのですが、金戒光明寺の境内の風景は、夏真っ盛りといった感じです。

北側の参道を歩いていると、真っ白いサルスベリがたくさん咲いていました。

白色のサルスベリ

白色のサルスベリ

足元では、背の低いムクゲもピンク色の花を咲かせています。

ムクゲ

ムクゲ

金戒光明寺の夏は、まだ終わりそうにないですね。

この後は、北隣の真如堂に参拝しました。

なお、金戒光明寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

宿泊