金戒光明寺を紹介しています。
由緒、見どころ、所在地、最寄駅などの情報を掲載。

金戒光明寺

金戒光明寺

由緒

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、承安5年(1175年)に比叡山の黒谷で修業を終えた法然がその師・叡空から与えられた土地に、浄土宗を確立するために草庵を結んだのが始まりとされる。山号は紫雲山(しうんざん)。

諸堂が整えられたのは、5世の恵(えがい)の時で、紫雲山光明寺と名付けられた。

そして、8世の運空が後光厳天皇から「金戒」の2文字を賜り、金戒光明寺と呼ばれるようになった。

また、正長元年(1428年)には、法然が最初に浄土教の真実義を広めた念仏発祥の地として、後小松天皇から「浄土真宗最初門」の勅額を賜った。

その後、応仁の乱(1467年)で焼失するが、17世の理聖が復興する。

なお、金戒光明寺は黒谷の通称で親しまれている。また、知恩院知恩寺清浄華院と並び浄土宗四ヵ本山のひとつである。

ご利益

学業成就

山門

山門

高麗門(ページトップの写真)をくぐり東に歩くと建っている山門。山門楼上の勅額には後小松天皇の宸筆で「浄土真宗最初門」と書かれている。現在の山門は、文政11年(1828年)に江戸幕府の命により再建されたものである。

御影堂

御影堂

山門をくぐった正面に建つ御影堂(みえいどう)。法然自作の御影像が祀られている。昭和9年(1934年)に火災で焼失した後、同19年に再建されている。

阿弥陀堂

阿弥陀堂

御影堂の南東に建つ阿弥陀堂。恵心僧都源信の最後の作とされる阿弥陀如来像が安置されている。この阿弥陀如来像は、仏像彫刻に必要なのみを胎内に納めているとされることから「のみおさめの如来」と言われる。現在の阿弥陀堂は、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が再建したものである。

鎧掛けの松

鎧掛けの松

御影堂と阿弥陀堂の間にある鎧掛けの松。平家物語の中で平敦盛を討ち取った熊谷直実が法然の弟子となり出家した際に、着ていた鎧をこの松にかけたとされる。現在の松は3代目。なお写真の松は2代目のもの。

三重塔

三重塔

阿弥陀堂の東の方にある石段を登り終えたところに建つ三重塔。寛永10年(1633年)に徳川秀忠の菩提を弔うためにその家臣の伊丹重好によって建立された。

紫雲石

紫雲石

三重塔から北に歩くと塔頭(たっちゅう)の西雲院がある。西雲院は法然ゆかりの名石で寺宝として伝わる紫雲石を守るために元和2年(1616年)に宗厳(そうごん)によって創建された。

紫雲の庭

紫雲の庭

平成24年(2012年)に法然上人八百年大遠忌記念に造営された紫雲の庭。法然の生涯と浄土宗の広がりを枯山水庭園で表現している。

金戒光明寺の所在地

〒606-8331
京都市左京区黒谷町121(地図

金戒光明寺への行き方

京阪神宮丸太町駅から徒歩約15分
市バス「岡崎道」から徒歩約5分

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