7月24日に行われた祇園祭の還幸祭。
中御座の神輿を追いかけ、三条会商店街まで来たところで神輿が休憩に入りました。
その間に私は、次に中御座の神輿が立ち寄る京都市中京区の神泉苑に一足早く向かうことにしました。
京都よかろう太鼓の演奏
神泉苑は、地下鉄の二条城前駅から南西に徒歩約5分の場所にあります。
JRだと二条駅から東に徒歩約10分です。
時刻は午後6時30分頃。
御池通に面して建つ石鳥居をくぐり神泉苑の中に入ります。
すると、京都よかろう太鼓の演奏が行われていました。
笛の音色に合わせて打つ太鼓は、境内に和やかに響き、心地良く夕涼みができましたよ。
神泉苑は、大きな池が境内の大部分を占めています。
その池の手前には善女龍王社が建っているので、お参りをしましょう。
京都よかろう太鼓の演奏がしばらく続きます。
午後6時50分頃となり、太鼓が境内の外に移され、歩道に並べられました。
そして、ドドンドドンと演奏が始まります。
鳥居前での仏事と神事
太鼓の音に合わせるようにして、三若神輿会(さんわかしんよかい)の行列が御池通に姿を現しました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を奉祀する中御座の神輿も続きます。
中御座の神輿の前には、宮本組神宝奉持列や久世駒形稚児(くぜこまがたちご)がいたのですが、途中でお別れをしたようです。
中御座の神輿が、石鳥居の前に停止。
その後ろからは、神職を乗せた車も続き、同じく神泉苑の前で停止しました。
祇園祭は、かつては祇園会(ぎおんえ)や祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれていました。
平安時代、毎年のように発生する疫病や河川の氾濫は、この世に恨みを残して亡くなった人々の霊が疫神となって起こしていると考えられていました。
そこで、その霊を鎮めるために貞観11年(869年)から始まったのが祇園会でした。
この年は、特に都を中心として全国で疫病が流行したことから、これは牛頭天王(ごずてんのう)や疫神の崇りに違いないと人々は考えました。
現在の八坂神社の前身である祇園社の社司卜部日良麻呂(うらべのひらまろ)が勅を奉じて、当時の国の数66ヶ国に準じて66本の矛を立て、神泉苑で疫病退散の神事を行ったのが最初の祇園会です。
祇園祭は、八坂神社の祭礼でありながらも、東寺が所管する神泉苑で仏事と神事が行われます。
明治時代の神仏分離令により、神社とお寺は区別されるようになりましたが、以前は、神社とお寺の区別はあまり明確ではなく、神社の中にお寺があったり、お寺の中に神社があったりするのは不思議なことではありませんでした。
祇園祭の還幸祭で、神輿が神泉苑に渡御するのは、かつての神仏習合の名残と言えそうです。
仏事と神事は、約5分で終了しました。
道路に坐ってその様子を見守っていた三若神輿会の人々が立ちあがり、神輿を持ち上げます。
そして、鳥居の前で高く神輿を持ち上げるさし上げ。
沿道の観覧者たちも盛り上がります。
中御座の神輿は、ゆっくりと西に向かって進んでいきました。
一方、神職を乗せた車は、東へと向かい、ここで両者はお別れすることに。
神輿が過ぎ去った後、再び、京都よかろう太鼓が夕暮れの空に鳴り響きます。
息があった太鼓の演奏が終わると、沿道からたくさんの拍手が贈られました。
私もここで、中御座の神輿とお別れすることに。
帰りは、もう一度、三条会商店街を歩きます。
三条会商店街には、八坂御供社が建っています。
又旅社とも呼ばれている当社では、祇園祭の還幸祭で3基の神輿が立ち寄り神事が行われます。
社の近くは、神輿が来るのを待つ人で賑わっていましたよ。
なお、神泉苑の詳細については以下のページを参考にしてみてください。
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