7月22日。
祇園祭の後祭の宵山を見に行ってきました。
後祭に登場する山鉾は全部で10基ですが、休み山の鷹山を入れると11基です。
後祭の宵山は、21日から23日まで行われており、22日は宵々山と呼ばれています。
場所は、北は御池通、南は綾小路通、東は烏丸通、西は新町通に囲まれた一帯です。
鈴鹿山
後祭の宵山を見に行くなら、地下鉄の烏丸御池駅、または四条駅で下車するのが便利です。
今回は北から南に山鉾を見て歩くので、同じように宵山を見るなら烏丸御池駅で下車するのがおすすめです。
最初に見たのは鈴鹿山です。
鈴鹿山は烏丸通沿いに建っています。
鈴鹿山は、応仁の乱(1467年)以前に起源を持つ歴史ある山です。
御神体は、鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した瀬織律姫神(せおりつひめのかみ)です。
御神体は、巡行時に能装束に着かえるのですが、その作業はプロの能楽師が行います。
前懸はラクダが描かれた「黄砂の道」なのですが、宵山では見ることができませんでした。
鈴鹿山の会所も烏丸通に面して建っていますよ。
役行者山
烏丸通から姉小路通を西に進み、室町通を南に曲がると役行者山(えんのぎょうじゃやま)が建っていました。
役行者山は修験道を題材とした山で、御神体は、役行者、葛城神、一言主神です。
役行者が、大峰山と葛城山の間に橋を架けようとした故事にちなみます。
役行者山の会所の入り口には茅の輪が設置されていたので、厄除けのためにくぐっておきました。
役行者山の会所では、23日の午後2時頃に聖護院の山伏が護摩焚きをして祭りの無事を祈る役行者山護摩焚供養が行われますよ。
鷹山
役行者山から南に歩き、三条通を西に入ると鷹山の会所があります。
鷹山は休み山となっていますが、2022年に山鉾巡行に復帰する予定です。
また、今年2019年には唐櫃(からびつ)で巡行に参加します。
会所の中では、3体の御神体が祀られていました。
御神体は、左から鷹遣、樽負、犬遣です。
仁和2年(886年)に光孝天皇が嵯峨芹川野に行幸した時にお供した様子と伝えられており、鷹遣は在原行平とされています。
鷹山は、応仁の乱以前よりあったそうですが、天明の大火(1788年)の後、一時的に舁山(かきやま)に改められ、寛政10年(1798年)に再び曳山(ひきやま)に戻りました。
しかし、車が焼失していたことから、長刀鉾と車を共用していたそうです。
また、船鉾と車を共用していたとも言われています。
鷹山が休み山となったのは、文政9年(1826年)の暴風雨のためです。
元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変でも被災し、3人形の首および上手のみ焼失を免れました。
鷹山の会所は、人は来るものの、他の会所と比較すると寂しかったです。
黒主山
鷹山から三条通を東に少し歩き、室町通を南に曲がると黒主山が見えてきました。
黒主山の近くには、たくさんのコイが描かれた大きな垂れ幕のようなものが設置されていました。
黒主山は、謡曲「志賀」を題材にした山で、六歌仙の1人である大伴黒主を御神体とします。
御神体の制作年代は寛政元年(1789年)ということですから、200年以上の歴史を持っています。
山には御神体は乗っていませんでしたが、桜はきれいな花を咲かせていましたよ。
山に飾られる桜の造花は、翌年の粽に添えられ、この桜を玄関に挿すと悪事除け、泥棒除けになるのだとか。
黒主山の会所からは、「粽どうですかー、うちわどうですかー」と女の子たちの声が聞こえてきましたよ。
この後は、浄妙山を見に行きます。
宿泊
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