京都市左京区に建つ金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、浄土宗四ヵ本山に数えられるお寺です。
浄土宗を開祖したのは法然上人です。
したがって、当寺は法然上人ゆかりのお寺であり、墓地近くに建つ御廟には法然上人の遺骨が祀られています。
死後長い年月が経ってから遺骨が葬られた
金戒光明寺の最寄り駅は、京阪電車の神宮丸太町駅です。
駅から東に10分から15分ほど歩けば、金戒光明寺に到着します。
市バスだと、「岡崎神社前」から行くことになるのですが、バス停から迂回しないといけないので道に迷うかもしれません。
法然上人が東山大谷禅房で亡くなったのは建暦2年(1212年)のことです。
御年80歳ということですから、当時としては非常に長生きですね。
いったんは、大谷に埋葬されたのですが、15年後の嘉禄3年(1227年)に山徒により大谷廟堂が破却されたため、その難を逃れた遺骸は、翌年に西山の粟生野(あお)で、信空らによって荼毘(だび)に付されました。
ちなみに西山には、粟生光明寺がありますね。
その後、信空は、分骨された法然上人の遺骨を生涯身につけて離しませんでしたが、彼の没後に弟子たちによって、金戒光明寺に葬られました。
下の写真に写っているのが、法然上人の遺骨が祀られている御廟です。
応仁の乱(1467年)で荒廃しましたが、天正元年(1573年)に法山と善香によって五輪塔が建立され、延宝4年(1676年)に金屋友竹らによって堂宇が再建されました。
御廟の前に設置されている説明書によると、内部は中央厨子の下層が五輪塔を包み、上層には勢至菩薩が安置されているとのこと。
熊谷直実の墓
法然上人の御廟の前にも、立派な五輪塔があります。
こちらは、熊谷法力房蓮生、すなわち熊谷直実のお墓です。
熊谷直実は、一ノ谷の戦いで平敦盛をを討ち取った武将として知られています。
直実は、源平合戦が終わると、法然のもとで出家しました。
まだ若かった平敦盛を討ち取ったことに何かを感じたのでしょう。
法然上人の御廟も熊谷直実のお墓も、墓地へと進む石段脇にあり、あまり目立ちません。
なので、お参りの際はどこに御廟があるのか迷う人も多いでしょうね。
蓮池の近くに建っているので、石段を登り始めてすぐに右に曲がれば御廟の前に到着します。
近くの熊谷直実のお墓にもお参りしておきましょう。
なお、金戒光明寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。