2015年06月29日一覧

松平容保が宿所とした清浄華院

文久2年(1862年)。 京都では、不逞浪士たちが天誅騒ぎを起こし騒然としていました。 これを幕府が放置するわけもなく、新たに京都守護職という役職を設けて、京都の治安維持を図ります。 京都守護職に就任したのは、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)でした。 松平容保は、京都市左京区の金戒光明寺に本陣を置き、上京区の京都府庁がある地を守護職屋敷としました。 この2ヶ所が京都市の会津藩ゆかりの地として有名ですが、他にも京都御苑の東に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)も松平容保が宿所として利用したことがあります。