山城国一揆で国人たちが寄合を開いた平等院
室町時代に起こった応仁の乱は、11年間続き、京都の町を焼け野原にしました。 応仁の乱が終結した後も、全国各地で争いは続き、やがて戦国時代に突入していきます。 応仁の乱で、畠山家の家督争いに敗れた畠山義就(はたけやまよしなり)は、文明9年(1477年)に斎藤妙椿(さいとうみょうちん)とともに河内国を武力で制圧。 畠山家の家督を相続し山城守護についた畠山政長がこれに怒り、応仁の乱が終結した後も両者は争い続けることになりました。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用していますがポップアップ広告は表示されません。
室町時代に起こった応仁の乱は、11年間続き、京都の町を焼け野原にしました。 応仁の乱が終結した後も、全国各地で争いは続き、やがて戦国時代に突入していきます。 応仁の乱で、畠山家の家督争いに敗れた畠山義就(はたけやまよしなり)は、文明9年(1477年)に斎藤妙椿(さいとうみょうちん)とともに河内国を武力で制圧。 畠山家の家督を相続し山城守護についた畠山政長がこれに怒り、応仁の乱が終結した後も両者は争い続けることになりました。
京都府宇治市の宇治橋の西に橋姫神社という神社が建っています。 境内はそれほど広くなく、鳥居がなければ民家と思って素通りしてしまいそうな神社です。 でも、橋姫神社は、宇治川が流れる宇治市にとって、昔から橋の守り神と崇められてきた大切な神社なのです。
1月上旬に京都府宇治市に訪れた際、縣神社(あがたじんじゃ)に新年のお参りをしてきました。 縣神社に参拝するのは、数年ぶりで、新年にお参りをするのは今回が初めてです。
1月上旬に京都府宇治市に訪れた際、興聖寺(こうしょうじ)に参拝してきました。 興聖寺に参拝するのは久しぶりです。 そして、新年にお参りするのは、これが初めてであります。
1月上旬に京都府宇治市の宇治上神社に新年のお参りをした後、近くの宇治神社に参拝してきました。 宇治市に観光で訪れる目的は、宇治上神社と平等院という方が多そうですが、その他にも見るべきところがいくつもあります。 もちろん宇治神社も、宇治市に訪れた時には立ち寄りたい神社ですね。
1月上旬。 京都府宇治市の宇治上神社に新年のお参りをしてきました。 久しぶりに訪れた宇治市は、とても新鮮に感じました。 このような新鮮な気持ちで神社に参拝すると、きっと良いことがあるはずです。
京都市山科区にある天智天皇陵は、天皇が遠乗りに出かけ行方不明となり、沓(くつ)が落ちていた場所に造営されたという説があります。 確証はあっても埋葬されているのかわからない天智天皇山科陵 天智天皇は、病死というのが通説ですが、実は暗殺されたのではないかともいわれています。 天智天皇が行方不明になったという説が、暗殺説の背後にあるわけですが、では、暗殺したのはいったい誰なのでしょうか? これについては、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)ではないかと考えられています。
元弘元年(1331年)8月24日に京都を脱出し南都に向かった後醍醐天皇の一行は、8月26日には奈良に入っていました。 天皇は、東大寺や興福寺に討幕のために起ち上がるようにと、僧の聖尋(しょうじん)を遣わしましたが、ともに断られたため、奈良を立ち去り、京都府南部の笠置山にたてこもって、幕府軍と戦うことにしました。
京都府宇治市の橋寺へ。 ここは、京阪電車の宇治駅から5分ほど歩いた辺りに建っているので、宇治市に来たときにまず最初に立ち寄る場所でもあります。 訪れたのは5月末。 境内には、願かけ観音や干支ごとの仏さまが祀られているので、ちょっとお参りしていくことに。
京都府宇治市には、世界遺産が2つあります。 ひとつは10円玉に描かれている平等院で、もうひとつは宇治上神社です。 平等院に訪れる観光客の方はとても多いのですが、宇治上神社に参拝される方は少なめです。 宇治上神社も世界遺産なのですから、宇治市に訪れた時は、こちらにも参拝しておきたいですね。 ということで、5月末に宇治上神社にお参りをしてきました。