平安時代末期に広まった浄土庭園は宇治の平等院が典型
平安時代末期。 この頃、浄土思想が広まり、その特徴を持つ浄土庭園も造営されるようになっていきました。 現存する代表的な浄土庭園は、京都の場合、宇治市の平等院で見ることができます。
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平安時代末期。 この頃、浄土思想が広まり、その特徴を持つ浄土庭園も造営されるようになっていきました。 現存する代表的な浄土庭園は、京都の場合、宇治市の平等院で見ることができます。
お寺で見かけるものに鐘があります。 正式には梵鐘(ぼんしょう)といいます。 梵は、宇宙の全てをさすブラフマンが由来で、お寺の鐘は楽器として使われる鐘と区別し、神聖なものであることから梵鐘と呼ばれるようになりました。 インドのお寺では、木の板を鳴らしてお坊さんに時間を報せていたのが、仏教が中国に伝来して青銅器の鐘を用いるようになり、それが日本の寺院にも伝わりました。 かつては、朝と夕に人間の持つ煩悩をしずめるため108回ついていましたが、現在は36回や18回に省略され、梵鐘の音を108回聞けるのは大晦日の除夜の鐘くらいです。 さて、その梵鐘ですが、神護寺、妙心寺、平...
京都府宇治市の宇治橋を西に渡り、県通(あがたどおり)を100メートルほど南下すると、左手に小さな神社が建っています。 あまり目立たたない外観で、観光客が訪れそうにないこの神社は橋姫神社といいます。 縁切りのご利益が有名で、意外と知名度は高いかもしれません。 神社の伝承を知ると、悪縁を切るために参拝したくなるはずです。
京都に都が遷されたのは延暦13年(794年)です。 でも、平安時代から現代までずっと残っている建物は少ないです。 その少ない平安時代から残る建物ですが、京都の南の伏見区と宇治市に行けば見られます。 醍醐寺、平等院、宇治上神社には、約1000年前に建立された建物が現存しています。
京都府宇治市は、宇治川が流れていることから、古くより京都の水上交通の重要拠点でした。 京都と大阪の物資の移動に宇治川が利用され、また、奈良とも大和街道で結ばれていることから陸上交通にとっても重要な拠点でした。 そういった地理的な理由もあり、平安時代には、宇治に貴族たちの別荘が多く建ち並びました。
京都府宇治市、京阪電車の宇治駅を出て北に5分ほど歩いたところにお茶と宇治のまち歴史公園茶づなという施設があり、様々な体験プログラムが用意されています。 その茶づなの後ろに小高い丘があり、木々がうっそうと茂っています。 見るからに何かの史跡と思われる小高い丘は、宇治と関係が深い菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のお墓です。
6月下旬に京都府宇治市の興聖寺に参拝した後、宇治川沿いを歩きました。 宇治川沿いは、平安時代の貴族の別荘があったためか、どこかリゾート地のような雰囲気が漂っています。 梅雨の曇り空の日でしたが、少しばかりリゾート気分を味わうことができました。
6月下旬に京都府宇治市の恵心院に参拝した後、宇治川沿いを南東に2分ほど歩き興聖寺(こうしょうじ)を訪れました。 興聖寺は、淀藩主の永井尚政が、慶安元年(1648年)に創建した曹洞宗のお寺です。 武将が建立したお寺とあり、境内は、力強さを感じさせる景観になっています。
6月下旬に京都府宇治市の宇治上神社に参拝した後、南東に5分ほど歩き、恵心院にも参拝しました。 恵心院の境内には、多くの植物が植えられており、四季折々の花を見ることができます。 あまり知られていないお寺ですが、宇治に観光で訪れた際は、立ち寄っておきたいですね。
6月下旬に京都府宇治市の宇治神社に参拝した後、近くの宇治上神社にも参拝しました。 宇治上神社は、世界遺産に登録されている神社です。 江戸時代までは、宇治神社とともに宇治離宮明神と呼ばれ、宇治神社を離宮下社と称したのに対し、宇治上神社は離宮上社と称していました。