承久の乱で敗れた後鳥羽上皇ゆかりの地・五辻殿跡
京都市上京区の狭い路地を歩いている時に五辻殿跡(いつつじどのあと)の石碑を発見しました。 五辻殿とは、何なのかと思って説明書を読んでみると、鎌倉時代の院御所ということがわかりました。 この五辻殿を使用していたのは、後鳥羽上皇です。
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京都市上京区の狭い路地を歩いている時に五辻殿跡(いつつじどのあと)の石碑を発見しました。 五辻殿とは、何なのかと思って説明書を読んでみると、鎌倉時代の院御所ということがわかりました。 この五辻殿を使用していたのは、後鳥羽上皇です。
長岡京市の粟生(あお)は、浄土宗の開祖である法然が初めて念仏を説いた地といわれています。 この地には、建久9年(1198年)に法然の弟子の蓮生が、念仏三昧堂を建てたのが始まりとされるお寺が建っています。 そのお寺は、光明寺(こうみょうじ)といいます。
京都には、源氏と平家の史跡が数多くあります。 当ブログでも過去記事でこれらの史跡を紹介してきましたが、記事を投稿した時期がバラバラのため、探し出して読むのが非常に困難な状況となっていました。 そこで、過去に紹介した源平の史跡を時系列にしたがってまとめました。 なお、当記事内のリンクは、便宜上クリックすると新しくウィンドウが起動するようにしています。タブで開く場合は、Ctrlキーを押した状態で左クリックしてください。
日本の曹洞宗の開祖で、福井県の永平寺を創建した道元が、生涯を終えた地が京都市下京区にあります。 道元は、正治2年(1200年)に京都で生まれ、建長5年(1253年)に54歳でこの世を去りました。
京都市左京区の修学院離宮の南、曼殊院の北に音羽川という川が流れています。 その音羽川の脇には、雲母坂と呼ばれる坂道があります。 雲母坂と書いて「きららざか」と読みます。
京都市伏見区にある日野には、法界寺と日野誕生院というお寺が建っています。 どちらのお寺も浄土真宗の祖である親鸞と縁があることで知られています。
京都市中京区の三条通を河原町から西の烏丸に向かって進んで、アーケード街を過ぎたあたりに建っているビルの入り口付近に大きな石と石碑が置かれています。 その大きな石は、弁慶石と呼ばれています。
京都市下京区の六条堀川は、源頼義、義家、為義、為朝、義経など、源氏の邸宅の六条堀川邸があった場所として知られています。 元暦2年(1185年)10月。 この六条堀川邸で、源義経が襲撃されるという事件が起こりました。
鎌倉時代が終わり(1333年)、その後に訪れたのが、朝廷が北朝と南朝に分裂して争う南北朝時代でした。 50年もの長きにわたって南北朝の争乱が繰り広げられたのは、後醍醐天皇に対立した足利尊氏が、光厳天皇(こうごんてんのう)を北朝の初代天皇として擁立したことが原因とされています。 しかし、実は、足利尊氏が北朝をつくる以前から、南北朝の争乱の火種は皇室にくすぶっていたのです。
京都市左京区の哲学の道の東側の通りに安楽寺というお寺が建っています。 当寺は、鎌倉時代の宗教弾圧と関係があることで知られています。