狭い敷地にある道元禅師示寂の地

日本の曹洞宗の開祖で、福井県の永平寺を創建した道元が、生涯を終えた地が京都市下京区にあります。

道元は、正治2年(1200年)に京都で生まれ、建長5年(1253年)に54歳でこの世を去りました。

宋で修業後、日本で坐禅を広める

道元は、13歳の時に比叡山に入り、翌年に出家します。

しかし、比叡山の腐敗ぶりを見るに堪え、山を降り、建仁寺の栄西のもとで禅を学んだ後、貞応2年(1223年)に宋に留学しました。

道元は、宋で修行し、ただひたすらに坐禅に打ち込むという只管打座(しかんだざ)の教えを日本に持ち帰り、その布教に努めます。

京都では、寛喜2年(1330年)から天福元年(1233年)まで、現在の伏見区に興正寺を創建し、布教活動を行いました。

その後、道元は、比叡山の圧力から逃れるため、波多野義重の招きに応じ、越前(福井県)へと逃れ、永平寺を創建しました。

彼は、弟子たちとこの地で、日々、厳しい修行を続けました。

しかし、建長5年に道元は、病気にかかり、その療養のために京都市下京区の弟子覚念の屋敷に滞在しましたが、療養の甲斐なく54歳で生涯を終えました。

下の写真に写っているのは、京都市下京区高辻通西洞院西入にある「道元禅師示寂の地」の石碑です。

道元禅師示寂の地

道元禅師示寂の地

建物と建物の間に挟まれた狭い土地なので、最初に見た時は、駐車場かと思いました。

柵があるので、敷地内に入ることはできません。

日本に曹洞宗を伝えた開祖が亡くなった地にしては、殺風景で少し寂しい感じがしますが、今もこうして残っているだけでも立派なことですね。

石碑と左右の刈込を見ていると、まるで坐禅を組んでいるように見えてきます。

道元ゆかりの欣浄寺

道元が京都で布教活動を行った伏見区には、彼ゆかりの欣浄寺(ごんじょうじ)が建っています。

欣浄寺

欣浄寺

欣浄寺を創建したのは、道元と伝えられており、本堂には彼の石像が安置されています。

他にも本堂には大きな丈六の毘盧遮那仏や阿弥陀如来像も安置されています。

また、欣浄寺は、毎夜、小野小町のもとに通い続けた深草少将の邸宅があった場所とされています。

境内には、深草少将と小野小町の塚があります。

詳細は以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。

曹洞宗の開祖道元の史跡を訪ねようと思っている方は、下京区の道元禅師示寂の地と伏見区の欣浄寺にもぜひ訪れてみてください。