7月15日に祇園祭の前祭の宵山を見に行きました。
油天神山を見た後は、芦刈山(あしかりやま)を見に行きます。
芦刈山
油天神山から北に歩き、綾小路通を東に曲がると、「蘆刈山」と記された提灯が道路の左右で灯る。

蘆刈山の提灯
この辺りも人が少なく、歩行者の動きに余裕が見られます。
遠くで光る駒形提灯を目標に歩を進めるも、人が増えだす気配はなし。

芦刈山の駒形提灯
宵山全体が、これくらいの人出なら落ち着いて歩けるのですが。
芦刈山は、謡曲の「芦刈」を題材にする。
妻と離れて難波の浦で芦を刈る翁が、やがて妻との再会を果たす夫婦和合の物語を表しています。
御神体は乗っていないものの、懸装品はほとんどが取り付けられているよう。
胴懸は、豊臣秀吉の陣羽織の図柄を復元した「豊公獅噛鳥獣文様」錦織。
後部には、16世紀末の明時代の「鳳凰と幻想動物に牡丹の図」の見送りが取り付けられています。

芦刈山の胴懸
会所に入れば御神体を拝めたのでしょうが、山をいろんな角度から眺めていたら失念しました。
伯牙山
芦刈山から綾小路通を東へ。
南北を通る西洞院通を過ぎると伯牙山(はくがやま)の煌々とした駒形提灯が吸い込むように大勢の人を集めていました。

伯牙山
この辺りから、再び人が増えだし、狭い綾小路通に余裕がなくなってくる。
中国の周時代、琴の名人伯牙が自分の琴の理解者である鍾子期(しょうしき)の死を嘆き、琴の弦を絶ったという「知音(ちいん)」の故事を題材にしています。
山の上には、真松が立つも、御神体はまだ乗っていません。
胴懸は「花卉尾長鳥文様」綴錦。

伯牙山の胴懸
伯牙山の懸装品は、水引、前懸、胴懸、見送、金具の図柄にいたるまで、すべて中国風に統一されています。
駒形提灯をもう一度眺めて伯牙山から去ることに。

伯牙山の駒形提灯
適度な距離から撮影すると、提灯の文様がわかりやすい写真になる。
カメラの露出を調整する必要もありますが。
綾傘鉾
綾小路通をさらに東へ進み新町通を横切ります。
船鉾が鎮座する新町通は大勢の人でごった返す。
四条烏丸に近づくほどに交通規制も厳しくなり、お巡りさんが一方通行や左側通行を呼びかけ、それに従いながら行列が流れる。
綾傘鉾(あやがさほこ)は、なかなかの込み具合。

綾傘鉾の提灯
歩きながらの写真撮影が難しいほど、人が多い。
建物の玄関付近に入らせてもらって、駒形提灯に挟まれるように立つ大傘を鑑賞。

大傘
綾傘鉾には、2つの大傘があり、それぞれ台車に乗せて巡行します。
上の写真に写っている上部の円形になっている垂り(さがり)は、「飛天の図」を描いた綴織。
もうひとつの大傘には、人間国宝の森口華弘さんが描いた「四季の花」の友禅染の垂りが取り付けられていますが、宵山の時は見られませんでした。
綾傘鉾での粽の販売には、子どもたちの姿が見られず。

綾傘鉾の全景
7日の綾傘鉾稚児社参で見た6人のお稚児さんの姿もありませんでした。
綾傘鉾と言えば、巡行中に赤熊(しゃぐま)を被った踊り手による棒振り囃子が人気。
宵山の時も棒振り囃子を見られるようなのですが、私が訪れた午後8時過ぎには見ることができませんでした。
綾傘鉾の周りに人が多かったのは、棒振り囃子を見るために待機していたからなのか。
綾傘鉾から、綾小路通を西に戻り、西洞院通を北に歩いて、四条通に出てきました。

大混雑の四条通
宵山の熱気は最高潮に達し、広々とした四条通が大勢の観覧者に埋め尽くされていましたよ。