風葬の地であった蓮台野に建つ上品蓮台寺と引接寺

京都市北区の船岡山の西に千本通があります。

千本通の名の由来は、卒塔婆が千本立てられたからだと伝えられています。

この地は、蓮台野と呼ばれ、平安時代には風葬が行われていたことから、卒塔婆がたくさん立てられていたのでしょう。

そして、千本通には、蓮台野墓地の墓守の寺として創建された上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)が今もあります。

また、上品蓮台寺の南には引接寺(いんじょうじ)というお寺も建ち、上品蓮台寺と深い関係があります。

上品蓮台寺

上品蓮台寺には、市バス停「千本北大路」から南に約5分歩くと到着します。

境内には、多くの桜が植えられており、春にはお花見を兼ねて参拝する人が多いですね。

上品蓮台寺

上品蓮台寺

上品蓮台寺は、聖徳太子が母の菩提を弔うために創建したのが始まりと伝えられ、皇族の葬送に関わってきた歴史があります。

天徳4年(960年)に宇多法皇の勅願で、法皇に灌頂(かんじょう)を受けた弟子の寛空が伽藍を整備し、現在の寺号にしました。

その後、法皇の孫である寛朝が入寺して皇室との関係がさらに深まります。

上品蓮台寺では、皇族の火葬も行われるようになり、二条天皇も蓮台野で荼毘(だび)に付されました。

ちなみに二条天皇は、後白河天皇の第一皇子です。

土蜘蛛を退治したと伝えられている源頼光の墓も、上品蓮台寺にありますね。

引接寺

引接寺は、上品蓮台寺から千本通を南に約5分歩いた場所に建っています。

市バス停「乾隆校前」からすぐの場所です。

引接寺は、千本ゑんま堂とも呼ばれており、その名のとおり閻魔大王が祀られています。

引接寺は、平安時代に小野篁(おののたかむら)が冥土に赴き、閻魔大王から精霊迎えの法を授かり、この地に閻魔堂を建立したのが始まりと伝えられています。

引接寺

引接寺

春には、遅咲きの普賢象桜が咲くことでも知られていますね。

引接寺で閻魔大王に会い、裁きを受けることで上品という地位につけると伝えられています。

上品とは、極楽浄土での位が高いことを意味します。

そう、上品蓮台寺の上品とは、これを意味しており、その地位につくためには引接寺で閻魔大王の裁きを受けなければならなかったのです。

蓮台野の千本通沿いに建つ上品蓮台寺と引接寺には、このような深い関係があったんですね。

現在の千本通沿いは、昔ながらの商店が建ち並んではいますが、平安時代の風葬の地を思わせる景色ではありません。

その面影を残すのは、上品蓮台寺と引接寺くらいのものですね。

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