平安京造営の起点となった船岡山

京都に平安京が造営されたのは、この地が四神相応の地だったことが理由として挙げられます。

四神とは、東を守る青龍、西を守る白虎、南を守る朱雀、北を守る玄武の神さまのことです。

そして、四神相応の地とは、東に川、西に道、南に湖、北に山がある土地を指し、これを京都に当てはめると東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池(おぐらいけ)、北に船岡山となります。

これら四神の中で、平安京造営の起点となったのは船岡山と考えられます。

船岡山から南に向かって朱雀大路が造られる

船岡山は、京都市北区にある標高112メートルの山です。

山というより、小高い丘といった方があってますね。

船岡山の山頂からは、四方を見渡すことができ、8月の五山送り火もきれいに見られます

船岡山の山頂

船岡山の山頂

平安京の造営前に船岡山の山頂から南を向けば、左手に鴨川、右手に山陰道、そして、遠く南に巨椋池が見えたことでしょう。

そして、京都が四神相応の地だと確信したはずです。

平安京の中心に南北に朱雀大路が造られることになりますが、その起点は船岡山でした。

船岡山から南に朱雀大路を造っていくと、途中で大きな池に阻まれるところがありました。

今では、京都市内の中心に大きな池は見当たりませんが、平安京を造営していた時代は京都に大きな池があったのです。

この池をどうするか考えていたところ名案が思い浮かびました。

それは、この池を平安京大内裏の庭園にしようというものです。

そして、誕生したのが中京区にある神泉苑です。

神泉苑

神泉苑

現在の神泉苑は、小さな池が残っているだけですが、昔は大きな池だったんですね。

後に埋め立てられたり、敷地に二条城が築城されたりしたことで、現在の規模まで縮小しています。

さらに朱雀大路を南に向かって延ばし、九条大路に突き当たるところに羅城門が造られました。

そして、羅城門の東に東寺、西に西寺が創建されます。

東寺の五重塔

東寺の五重塔

現在の東寺には五重塔が建っていますが、同様の五重塔は西寺にもありました。

船岡山の山頂に立ち、南を望めば、左右に五重塔が建つ光景が見られたんですね。

しかし、西寺は後に廃絶し、東寺だけが残りました。

朱雀大路の東西に東寺と西寺があったように東鴻臚館(こうろかん)西鴻臚館も朱雀大路の東西に建っていました。

鴻臚館は、外国使節を迎えるための施設だったのですが、後に廃絶しています。

現在は、朱雀大路はなくなっていますが、千本通がかつての朱雀大路に近い場所を通っています。

もしも、船岡山がなければ、南北にまっすぐ朱雀大路を造れなかったかもしれませんね。

今は小高い丘でしなかい船岡山ですが、平安京造営には欠かすことのできなかった重要な丘だったのです。

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