1月下旬に相国寺に参拝した後、南に約10分歩いて京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)にも参拝しました。
下御霊神社では、2月になると白梅が咲くのですが、まだ時期的には少し早めです。
でも、昨年は元日には咲いていたことから、今年も早くに開花しているかもしれないと思い下御霊神社に立ち寄った次第です。
本殿にお参り
下御霊神社の最寄り駅は、地下鉄の丸太町駅です。
駅からは、東に約7分歩けば寺町通に面した下御霊神社の鳥居の前に到着します。
正面には、THE SCREENという高級ホテルがありますよ。
京阪電車だと、丸太町駅から西に約5分です。
鳥居の奥には正門が建っています。
正門の屋根の下には、龍などの彫り物があるので、くぐる時にはこちらも見ておきたいですね。
境内に入ります。
正面には拝殿が建ち、その前にはテントが設置されていました。
テントの中を覘くと下御霊神社の還幸祭の写真展が行われていました。
昭和25年(1950年)5月18日の還幸祭の写真です。
カラー写真ですが、今よりも色が薄いです。
当時の街の風景が貴重であります。
丸太町通が写っていましたが、この頃には、すでに地面が舗装されていたことがわかります。
境内も露店が出て、とても賑わっていたようですね。
拝殿の奥に建つ本殿にお参りをしましょう。
下御霊神社は、平安時代に崇道天皇、伊予親王、藤原吉子(ふじわらのきっし)、藤原広嗣、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)の六座に吉備聖霊(きびのしょうりょう)と火雷天神(からいのてんじん)を加えた八座を祀ったのが始まりです。
いずれも無実の罪などで非業の死を遂げた人物で、この時代はそのような人々が怨霊となり疫病流行や天変地異をもたらすとされていました。
そして、怨霊を鎮め御霊とすると災厄が治まると考えられていました。
下御霊神社の本殿は、寛政2年(1790年)に仮皇居の賢所(かしこどころ)旧殿を下賜されたものです。
賢所は、皇位継承の御証である八咫鏡(やたかがみ)の別御霊(わけみたま)が奉斎され、天照大御神を祀った御殿です。
下御霊神社の説明書によると、賢所の御殿を社殿用に下賜されたのは、上御霊神社、藤森神社と下御霊神社だけとのこと。
また、江戸時代中期には霊元天皇が当社に御祈願文を奉納しており、崩御の後は下御霊神社に祀るよう違勅し、上記八座とともに霊元天皇も祭神として祀られました。
境内の南西角にある天満宮の前の白梅は、まだ開花していませんでした。
やはり、咲き始めるのは2月に入ってからのようです。
たくさんのナンテン
境内の北側に建つ社務所付近にはナンテンが植えられており、多くの実を付けていました。
「難を転じて福となす」と言われるナンテンは縁起の良い植物とされていますね。
下御霊神社の境内には、たくさんの実を付けたナンテンがいっぱいあったので、この時期にお参りをしておけば、きっと福がやってきてくれることでしょう。
社務所の奥には、伊勢神宮、八幡社、春日社を祀った三社があります。
こちらにもお参りをしておけば、たくさんのご利益を授けてもらえそうです。
それにしても、下御霊神社のナンテンは、実の付き方が見事ですね。
よく見かけるナンテンは、もっと実の数が少なく、スカスカした印象なのですが、下御霊神社のナンテンの実は、隙間なくびっしりとなっています。
正門の近くに植えられているナンテンは、実が少なめでした。
他の場所で見るナンテンは、大体これくらいの実の付き方ですね。
私が下御霊神社に参拝した時は、境内に人がほとんどいませんでした。
冬は京都に観光で訪れる人は少ないので、どこも静かですね。
なお、下御霊神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。