京都市伏見区の醍醐寺は、春の桜がとても華やかなお寺として知られ、満開の時期には大勢の旅行者や観光客の方で境内が賑わいます。
人は大変多いものの、醍醐寺の桜は見事なので、春の京都観光の際に一度は訪れたいですね。
醍醐寺は春がおすすめですが、境内に建つ三宝院の前に作られた庭園は、季節を問わず楽しめるので、春以外に醍醐寺に参拝するのも良いものです。
今回の記事では、醍醐寺の三宝院庭園を紹介します。
国宝の唐門
醍醐寺には、地下鉄の醍醐駅から東に徒歩約15分で到着します。
総門をくぐると、左手すぐに三宝院の入り口があるので、ここで拝観料を納め三宝院の敷地内に進みます。
三宝院の築地には、国宝に指定されている唐門がありますが、ここから三宝院に入ることはできません。
黒色の背景に金色で菊と桐の門が4つ描かれています。
唐門の西側にある入り口から三宝院の敷地に入り、大玄関から建物内に進みます。
そして、表書院までやって来ると、先ほど見た唐門が遠くに見えます。
唐門は、通常、屋根が弓なりになった唐破風(からはふ)が付いているのですが、醍醐寺の唐門はそのようにはなっていません。
池泉回遊式と枯山水の折衷
三宝院は、文永3年(1115年)に醍醐寺第14世座主の勝覚僧正によって創建された醍醐寺の中でも重要な子院です。
以来、醍醐寺座主が居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきました。
勝覚僧正は、三師に法を授けられたので三法院と号し、のちに三宝院としています。
しかし、三宝院は、その後、焼失と再建を繰り返しながら荒廃していきました。
再建したのは豊臣秀吉で、慶長3年(1598年)のことです。
この年、豊臣秀吉は、醍醐の花見を盛大に催し、その舞台となったのが醍醐寺でした。
花見の1ヶ月前には700本もの桜を植えさせたというのですから、その規模に驚かされます。
そして、そのおかげで現在も醍醐寺で美しい桜を見られるようになったのですから、豊臣秀吉に感謝しないといけませんね。
唐門に桐の紋が描かれているのを見ると、豊臣秀吉と醍醐寺が深い関係にあることがわかります。
また、豊臣秀吉は、当時の座主の居住房であった金剛輪院を復興し、三宝院と改名しています。
その三宝院の南側に広がる庭園は、豊臣秀吉が直接指導して作られたものです。
参拝者は表書院の縁側から、南向きに庭園を鑑賞します。
三宝院庭園は、池を中心とした池泉回遊式庭園ではあるものの、石や砂も使った枯山水でもある折衷式の庭園です。
池の中には、亀島と鶴島があり、そこに石橋を架けてあります。
上の写真の中央奥の茂みの中には茶室「枕流亭(ちんりゅうてい)」が建っていますが、表書院の縁側からは見えにくいです。
池の南側には、阿弥陀三尊を表す藤戸石が置かれているのですが、この藤戸石は、児島家、足利家、織田信長と天下を治めた武将が次々と手にしたことで知られています。
池の手前は砂と石で構成されており、枯山水の趣があります。
池泉も枯山水も両方とも庭に取り入れようとしたところが、豊臣秀吉らしいなと感じますね。
醍醐寺は、春に参拝すると桜にばかり気がとられて、三宝院庭園をじっくりと見られないかもしれません。
でも、特別史跡、特別名勝となっている庭園ですから、醍醐寺に参拝した時には時間をかけて鑑賞したいです。
落ち着いて拝観したい場合は、秋の紅葉の時期に醍醐寺を訪れると良いでしょう。
なお、醍醐寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。