夏の静かな寂光寺に参拝・2021年

7月下旬に京都市左京区の大蓮寺にハスを見に行った後、近くの寂光寺に参拝しました。

寂光寺は、大原の寂光院と名が似ているので勘違いされる方もしらっしゃるでしょうが、寂光寺は三条大橋の東にあるお寺なので、同じ左京区のお寺でも場所が全く異なります。

寂光寺は、普段から人が少なく、春や秋の観光シーズンでも境内が混雑することはありません。

暑い夏は、さらに人が少なくなりますね。

境内は無人

寂光寺の最寄り駅は、地下鉄の三条京阪駅、または京阪電車の三条駅です。

どちらの駅からも、北東に7分ほど歩くと仁王門通りに面した寂光寺の山門前に到着します。

山門

山門

山門をくぐり境内に入ります。

参道

参道

参道には、きれいに刈り込まれた杉が南北に長く植えられています。

その参道の東に「第一世本因坊報恩塔」と刻まれた大きな石碑が置かれています。

第一世本因坊報恩塔

第一世本因坊報恩塔

当寺は、囲碁の本因坊ゆかりのお寺です。

囲碁をされる方にとっては、馴染みのあるお寺です。

境内には、予想したとおり全く人がいません。

境内

境内

本堂の前に置かれている大きな仏足石。

仏足石

仏足石

それでは、本堂にお参りをしましょう。

寂光寺は、日蓮宗のお寺で、天正6年(1578年)に日淵上人によって創建されました。

当初は、久遠院(くおんいん)といい、京都御苑の西にありましたが、後に寺町二条に移ります。

現在地に移ってきたのは、宝永5年(1708年)のことです。

日淵上人の法弟の日海上人は、囲碁の名手で、織田信長から名人の称号を贈られ、また、豊臣秀吉や徳川家康からも扶持米や官職を与えられています。

日海上人は、寺内の本因坊の住職をつとめていたことから、本因坊算砂(さんさ)と改名し、以後、本因坊の名称が碁会家元の世襲となります。

ちなみに寺町二条には、本因坊発祥の地の石碑が置かれていますよ。

本因坊は、二十一世の秀哉(しゅうさい)が引退したのを機に世襲制でなくなり、日本碁院にその名跡が譲られ、昭和14年(1939年)から現在のタイトル戦となっています。

本堂の前に植えられているカエデの葉。

カエデの葉

カエデの葉

夏になると、カエデの上の方の葉が日に焼けて黄色くなってくるのですが、寂光寺のカエデは、まだ全身が緑色でした。

参道の近くに植えられているキンシバイが、少しだけ咲いていました。

キンシバイ

キンシバイ

花数が少なくなり、そろそろ花期が終わろうとしています。

境内の南側には、本因坊の歴代墓所がありますよ。

本因坊歴代墓所

本因坊歴代墓所

石の上に置かれた瓦。

瓦

鬼瓦が、怖い顔をしてにらんでいました。

鬼瓦

鬼瓦

そろそろ境内から出ましょう。

夏の寂光寺は、人がおらず静かでした。

誰もいないとさすがに寂しいものがありますね。

囲碁に興味がある方は、ぜひ寂光寺に参拝してください。

この後は、平安神宮に参拝します。

なお、寂光寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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