明治天皇生誕の地・中山邸跡

京都御所の一般公開で、明治天皇紀附図のパネル写真が一部公開されていました。

その中で、京都御苑の北側にある中山邸跡が明治天皇生誕の地として紹介されていたので、御所の拝観を済ませた後に中山邸跡にも寄ってみることにしました。

中山邸跡は、以前にも見たことはあったのですが、通り過ぎる時についでに見る程度だったので、今回はじっくりと見学することに。

柵の外から眺めるだけ

下の写真に写っているのが、中山邸跡です。

中山邸跡

中山邸跡

敷地内に入ることができないので、外から眺めるだけです。

中山邸は、幕末の公卿中山忠能(なかやまただやす)の邸宅跡です。

忠能の娘の慶子(よしこ)は、嘉永5年(1852年)に敷地内に建つうぶ屋で出産しました。

その子が、後の明治天皇となる祐宮(さちのみや)です。

敷地内の中央には、「明治天皇生誕の地」と刻まれた柱が立っています。

明治天皇生誕の地

明治天皇生誕の地

明治天皇が誕生したうぶ屋は、現在も残っています。

うぶ屋は、慶子の出産にあたり御産所として新築したものだそうです。

近くに掲示されている解説によると、うぶ屋は、当時のお金で100両の費用がかかったとのこと。

建物内は、6畳と10畳の2室だけと簡素な造りのようです。

外から敷地内を見回してみると、奥に井戸があるのを発見しました。

この井戸は、祐井(さちのい)というそうです。

祐井

祐井

祐井は、祐宮2歳の夏に干天のため井戸が枯れてしまったことから、新たに掘られたものです。

なお、井戸の名は、祐宮にちなんで名づけられました。

本願寺から献上された門

さらに敷地内を見回してみると、石柱が2本、横にして置かれていました。

石柱

石柱

現在の中山邸跡の柵と門柱は全て木製となっていますが、以前は、石柱、鉄扉、鉄柵で囲まれていたそうです。

上の写真に写っている石柱が、以前、使われていたものです。

解説によると、石柱の1本には、本願寺住職大谷光尊(おおたにこうそん)の名が刻まれており、もう1本には「明治十三年七月建築」と刻まれていたことから、当時の本願寺住職から献上したものということがうかがえるそうです。

同年に明治天皇は、桂宮淑子内親王(かつらのみやとしこないしんのう)邸へ行幸しています。

これに先立ち、当時の京都府知事槇村正直が、明治天皇誕生地である祐井に龍谷大学本館正門と同じ鉄扉と鉄柵の設置を宮中に内奏しました。

この旨が本願寺に伝えられ、当時の住職から中山邸に門が献上されたということです。

内親王邸への行幸の途上、明治天皇は、祐井もご覧になったそうですよ。

現在、中山邸跡に入ることはできませんが、特別公開されることがあれば、拝観したいですね。

なお、京都御所の詳細については以下のページを参考にしてみて下しあ。

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