京都には、様々な言い伝えや不思議が語り継がれている旧跡がたくさんあります。
そういった言い伝えは、有名な観光名所だけでなく、あまり人に知られていない場所などいろいろな所に残されていますが、東山区の祇園の象徴とも言える八坂神社にも七不思議が伝えられています。
そこで、我々取材班は、その七不思議を探し出すべく八坂神社に急行したのでした(取材班と言っても友人と二人で探しに行っただけですが)。
その1 南楼門
七不思議のひとつ目は、八坂神社の正門である南楼門にあります。
なんと南楼門は、舞殿、本殿と一直線に並んでいるのです。
しかも、南楼門と本殿の高さは同じ。
南楼門をくぐって境内に入る際、石段を下りて入場することになりますが、南楼門の高さは、この石段も計算に入れて本殿と同じ高さに設計されたということですね。
その2 龍穴
二つ目の不思議は、承応3年(1654年)に再建された本殿に隠されています。
入母屋造、檜皮葺の美しい姿をした本殿を外から見てもその不思議には気付きません。
なぜなら、その不思議は本殿の下に隠されているからです。
本殿の下には、龍穴と呼ばれる大きな井戸があると言われています。
その龍穴は、中京区の神泉苑や南区の東寺まで地下でつながっているとか。
ちなみに下の写真は、本殿東にある御神水です。
この御神水を龍穴と勘違いされる方も多いですね。
その3 龍吼
三つ目の不思議も本殿にあります。
本殿の東の柱の上の方を見ると龍の頭がくっついています。
この龍の頭は龍吼(りゅうぼえ)と呼ばれています。
龍吼は、ただの龍の頭ではありません。
龍吼が付いた柱の東側から西を向いて柏手を「パン」と打ってみてください。
すると、「パキーン」と大きく反響するのがわかります。
他の場所で柏手を打っても「パン」としか聞こえないのですが、なぜか龍吼の前だと反響します。
その4 平忠盛灯籠
四つ目は、本殿の東にある平忠盛灯籠です。
平忠盛は、平清盛の父親で、白河法皇に仕える武士でした。
ある雨の夜、法皇が祇園女御(ぎおんのにょご=清盛の母)の許に赴かれる際、鬼のようなものを目撃しました。
そこで、法皇は、お供していた忠盛に鬼を討ち取るように命じます。
忠盛は、まずは正体を確かめるために生け捕りにしようとします。
するとその正体は、蓑を被った僧でした。僧は灯籠に火を灯そうとしており、その姿を鬼と見間違えたのです。
法皇は、忠盛の冷静な判断に感嘆したそうです。
その時の灯籠が、八坂神社にある忠盛灯籠と伝えられています。
その5 夜泣石
五つ目の不思議は、本殿の北東に建つ日吉社にあります。
特に変わったところのない摂社といった感じです。
しかし、日吉社の右前に植えられた木の根をよく見ると大きな石が置かれています。
この石は、夜泣石と言い、五つ目の不思議となります。
夜泣石は、その名の通り、夜になるとシクシクとすすり泣くそうです。
その6 二見岩
六つ目は、忠盛灯籠の近くの二見岩です。
二見岩は、大神宮の内宮と外宮の間にある見た目は何の変哲もない大きめの石です。
しかし、この二見岩の根は、地軸に達するほど深くまで伸びているそうです。
その7 西楼門
七つ目の不思議は、四条通に面した西楼門です。
朱色の鮮やかな楼門で、この姿を見ると祇園に来たという実感がわきます。
この鮮やかな西楼門は、なぜか鳥や蜘蛛が巣を作らないそうです。
しかも、雨だれもしないので、石段に雨だれの跡も全くありません。
以上が八坂神社の七不思議です。
まだまだある八坂神社の不思議
七不思議として八坂神社の不思議を紹介してきましたが、実はもっとたくさんの不思議が八坂神社には存在しています。
下の写真は、蘇民将来を祀った疫神社です。
茅の輪を付けて「蘇民将来の子孫なり」と言うと災厄から免れることができると伝えられています。
上の写真の疫神社の石鳥居には、直接、「疫神社」と刻まれています。通常は、社名が書かれた額が掛かっているのですが、不思議と疫神社はそうなっていません。
ちなみに祇園祭最終日の7月31日には、疫神社で夏越祭が催されます。
摂社の北向蛭子社にも不思議が隠されています。
通常、社殿は南向きに建てられるのですが、北向蛭子社はその名の通り、北向きに建てられています。
伏見区の鳥羽にある北向山不動院も北向きに建っているのですが、それは南側から北にある都を守護するという理由からそうなっています。
北向蛭子社が北向きに建っている理由は、よくわかりません。
他にも八坂神社には、いろいろな不思議が隠されていますので、興味がある方は探してみてください。