近代一覧

油掛通にある電気鉄道事業発祥の地の石碑

京都市伏見区に油掛通という名の道路があります。 その名は、通りに西岸寺(さいがんじ)というお寺があり、そこに油掛地蔵が祀られていることが由来とされています。 さて、油掛通には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑があります。 そう、日本での電鉄の営業は、京都市から始まったのです。

京都の米騒動で大騒ぎとなった長徳寺

一揆。 この言葉から連想するのは、江戸時代や戦国時代に貧しい農民が徒党を組んで、時の権力者に反抗することではないでしょうか。 時代劇でも、その場面が出てくることがあるので、江戸時代以前の出来事のように思っている人が多いはず。 でも、一揆は近代になってからも起こっています。 その代表例は、大正7年(1918年)8月に起こった米騒動で、京都でも大きな騒ぎとなりました。

明治天皇が崇徳天皇の御霊を京都に戻したのはなぜ?

長寛2年(1164年)8月26日に保元の乱に敗れ、讃岐に島流しとなった崇徳上皇が亡くなりました。 その崇徳上皇の御霊が再び京都に戻ってきて京都市上京区の白峯神宮に祀られたのは、それから約700年も経った慶応4年(1868年)のことでした。 なぜ、こんなに時が過ぎてから崇徳上皇の御霊が京都に戻ってきたのでしょうか。

御池大橋の近くにある夏目漱石の句碑

明治時代から大正時代に活躍した文豪夏目漱石は、生涯に4度京都を訪れています。 最初は明治25年(1892年)の夏に友人の正岡子規と訪れ、その後、明治40年春、明治42年、大正4年(1915年)と京都に来ています。 最後の訪問の時は、京都市中京区の御池大橋付近の北大嘉(きたのたいが)という旅館に宿泊しています。

国のために戦った英霊たちを祀る京都霊山護国神社

京都市東山区に建つ京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、明治維新以降、国のために戦った人たちの英霊が祀られています。 特に有名なのが、幕末の勤王の志士たちの慰霊碑で、墓地には坂本竜馬や中岡慎太郎のお墓もあります。 ここに訪れる多くの人は、幕末の志士たちに興味があるようですが、他にも第2次世界大戦で亡くなった人たちの英霊も祀られているので、そういった人たちの鎮魂のために置かれた慰霊碑なんかも見て欲しいですね。

名将か愚将か?乃木将軍の評価はいかに

昭和30年代頃まで、日本人の尊敬する英雄の上位に入っていたのが乃木希典(のぎまれすけ)です。 乃木希典は、明治時代の軍人。日清戦争や日露戦争で活躍した人物で、日本の勝利に大きく貢献しました。 でも、最近では、乃木将軍の評価は以前よりも高くありません。 むしろ、愚将として評価されており、その名前を知らない人の方が圧倒的に多いですね。 昔は、西郷隆盛と並び、その名を知らない人はほとんどいないほどの有名人だったのですが、なぜ、ここまで知名度が低くなってしまったのでしょうか。 その理由には、やはり、近年、乃木将軍が愚将だと評価されるようになったことと関係があるように思いま...