上賀茂にある北大路魯山人生誕地の石碑

近代に活躍した芸術家の北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は、その名から想像できるように京都の出身です。

生誕地は上賀茂で、現在、北大路魯山人生誕地にそれを示す石碑が立っています。

大田神社近くが北大路魯山人の生誕地

北大路魯山人生誕地は、京都市北区の大田神社付近です。

大田神社

大田神社

大田神社は、上賀茂神社の境外摂社で、市バス停「上賀茂神社前」から東に徒歩約8分の場所に建っています。

ちなみに大田神社は初夏にカキツバタが咲くことで知られていますね。

その大田神社の正面には、上賀茂神社の末社の福徳神社が建っています。

福徳神社

福徳神社

朱色の玉垣で囲まれた社殿の裏に回ると、「北大路魯山人生誕地」と刻まれた石碑が立っています。

北大路魯山人生誕地の石碑

北大路魯山人生誕地の石碑

石碑が建立されたのは平成21年(2009年)3月23日です。

近くの説明書によると、北大路魯山人は、明治16年(1883年)3月23日に上賀茂で生まれたそうです。

石碑の建立は、北大路魯山人の誕生日なんですね。

北大路魯山人の生家は貧しかったようで、父は魯山人が生まれる前に自殺し、母も魯山人を滋賀県の農家に預けて失踪します。

彼が、芸術の才能を世間に認められたのは15歳のときで、当時流行していた一字書きで次々と受賞し、一字書きの名手として名をあげました。

明治37年の21歳の時には、日本美術展覧会に隷書(れいしょ)「千字文」を出品し1等賞を受賞し、その後も、書や篆刻(てんこく)、刻字看板を制作し、併せて古美術と料理にも興味を持つようになりました。

篆刻というのは、木や石に文字を彫ることで、京都だと石碑に刻まれた文字が身近でしょうか。

北大路魯山人は、美食家としても知られており、大正14年(1925年)の42歳の時に東京で星岡茶寮を開設し、仕入、調理などに卓越した技量を発揮したとのこと。

さらに昭和2年(1927年)の44歳の時には、星岡茶寮で用いるため、北鎌倉に星岡窯を築き本格的に作陶を始め、多数のすぐれた作品を残しています。

書、篆刻、陶芸、料理と幅広い分野で優れた業績を残した北大路魯山人は、昭和30年の72歳の時に人間国宝の認定を打診されましたが、これを断わっています。

世間の名声には無頓着だったようです。

北大路魯山人は、横浜で、昭和34年12月21日に76歳で亡くなりましたが、京都西賀茂の小谷墓地に埋葬されています。

生誕地も埋葬地も、京都市北区なんですね。

北大路魯山人生誕地の石碑がある付近は、民家が多く、普段は静かです。

観光客で賑わうのは、大田神社のカキツバタが咲く5月頃ですね。

北大路魯山人も、大田神社のカキツバタを見ていたのでしょうか。

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