京都の三門いろいろ

京都には、三門と呼ばれる門が建っているお寺がいくつかあります。

三門とは、空、無相、無作の三境地を経て仏国土に至る門という意味で、三解脱門(さんげだつもん)とも呼ばれています。

主に禅宗のお寺に建っていることが多いのですが、それ以外の宗派のお寺でも見かけることがありますね。

今回の記事では、京都のお寺にある三門を紹介したいと思います。

石段の上に建つ三門

三門は、とても大きな門なのですが、石段の上に建っている三門は、さらに雄大に見えます。

知恩院

石段の上に建つ三門の中で、最も雄大に見えるのが京都市東山区の知恩院の三門です。

知恩院の三門

知恩院の三門

知恩院の三門は、高さ24メートル、横幅50メートルの壮大な門で、国内で現存している木造楼門では最大です。

建立されたのは、元和7年(1621年)のことで、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が寄進しました。

三門の上の方には、霊元上皇宸筆の「華頂山」の額がかかっています。

南禅寺

京都市左京区の南禅寺の三門も石段の上に建っています。

南禅寺の三門

南禅寺の三門

南禅寺の三門もなかなか雄大です。

三門には登ることもでき、大泥棒の石川五右衛門が三門上で「絶景かな」と言ったと伝えられていますね。

現在の三門は、寛永5年(1628年)に藤堂高虎が大坂夏の陣での戦没者の霊を弔うために建立寄進したものです。

五右衛門はそれよりも30年ほど前に豊臣秀吉に釜ゆでにされているいるので、実際には南禅寺の三門には登っていません。

平地に建つ三門

知恩院と南禅寺の三門は、石段の上に建っていましたが、平地に建っている三門もあります。

東福寺

東福寺の三門は、応永12年(1405年)に建立されたもので、禅宗寺院では日本最古の三門です。

東福寺の三門

東福寺の三門

高さ22メートル、横幅25メートルもあるので、石段の上に建っていなくても非常に大きく見えます。

正面2階には、室町幕府4代将軍の足利義持が書いた「玅雲閣(みょううんかく)」の扁額がかかっています。

「玅」という字は、通常「妙」と書かれるのですが、「女」ではなく「玄」を使うことで、奥深い道理の意味を添え、「妙」の「真理・美しい」という意味を強化しているそうです。

建仁寺

建仁寺の三門は、上で紹介してきた三門と比較すると小さめです。

建仁寺の三門

建仁寺の三門

静岡県浜名郡の安寧寺から大正12年(1923年)に移築されたそうです。

建仁寺の三門は、「望闕楼(ぼうけつろう)」と御所を望む名が付けられており、その額が正面2階にかかっています。

朱色の三門

三門は、黒い色をしているものが多いのですが、朱色の三門もいくつかあります。

大徳寺

京都市北区の大徳寺の三門は、1階部分は享禄2年(1529年)に柴軒屋宗長(さいおくけんそうちょう)が寄進、2階部分は天正17年(1589年)に千利休が設けました。

大徳寺の三門

大徳寺の三門

2階部分には、「金毛閣」の額がかかっています。

鮮やかな朱色が特徴的な金毛閣ですが、実はこの建物が、千利休切腹の原因となっています。

妙心寺

京都市右京区の妙心寺の三門も朱色です。

妙心寺の三門

妙心寺の三門

建立されたのは慶長4年(1599年)です。

楼上には、観世音菩薩と十六羅漢が祀られているそうですが、一般公開はしていません。

今はない三門

現在は存在していませんが、京都市上京区の相国寺にも三門が建っていました。

相国寺の三門は、天明の大火(1788年)で焼失したそうで、現在では、その礎石だけが残っています。

以上、京都市のお寺にある三門を紹介しました。

やはり、三門は大きなものほど見応えがありますね。

他にも三門を見つけた時は、随時、このページに追加していきたいと思います。

なお、三門と思われる建物でも、「山門」など異なった呼び名が付いているものは割愛しています。

コメント

  1. rikidrian より: