梅雨の晴天の日に参拝した善峯寺・2020年

6月中旬。

京都市西京区の善峯寺に参拝しました。

善峯寺は、大阪府との境にある釈迦岳の支峰良峰山に建つお寺です。

境内は、とても広く、桜や紅葉など四季折々の自然の風景を楽しめることから、花の寺として知られています。

6月は、サツキやアジサイが境内を彩り、梅雨でも訪れる参拝者が多いですね。

参道の緑

JR向日町駅から阪急バスに乗車します。

駅の近くは住宅街でしたが、バスが進むにつれ、次第に民家が少なくなっていきます。

山道を上り始める頃には、民家はほとんどなくなりました。

そして、バスに30分ほど揺られて、終点の善峯寺に到着すると、そこは山の中。

善峯寺には、以前にも訪れたことがありますが、いつ来ても、自然が豊かだなと感じますね。

入り口

入り口

参道は、急な上り坂となっています。

境内まで、約300メートル続く参道を上るのは一苦労です。

でも、途中で、山の間から京都市街を眺められるので、参道を上るのも悪くありません。

参道からの眺め

参道からの眺め

遠くには東山も見えます。

参道の木々の青葉が新鮮です。

参道の木々

参道の木々

この辺りは、カエデの葉がまだ黄緑色ですね。

緑の中にぽつんとある赤色のカエデもきれいです。

東門に到着しました。

東門

東門

やっと境内の入り口にたどり着いたかと思う人も多いでしょうが、まだ、石段が続きます。

参道脇のサツキ

参道脇のサツキ

石段脇には、サツキが植えられていましたが、花数が少なくなり、見ごろの終盤に入っていました。

観音堂にお参り

石段を上りきった先には、立派な楼門が建っています。

この楼門が、善峯寺の山門です。

山門

山門

この山門が、入山受付となっているので、入山料500円を納めて中に入ります。

いただいた拝観案内によると、山門は正徳6年(1716年)建立と記されています。

でも、以前にいただいた拝観案内には元禄5年(1692年)に再建されたと記されています。

ネットで調べてみると、現在の山門となったのが正徳6年、それ以前の山門が再建されたのが元禄5年ということらしいです。

山門の楼上には、源頼朝が寄進したと伝わる運慶作の本尊の文殊菩薩と両脇・金剛力士が祀られていましたが、現在は観音堂の南に建つ文殊寺宝館に奉安されています。

また、楼下には金剛力士像が祀られています。

山門をくぐった先では、アジサイが咲いていました。

山門付近のアジサイ

山門付近のアジサイ

京都が梅雨入りして1週間ほど経ちますが、アジサイは、これからもっと華やかになると思います。

山門の先には、お城のような石垣。

石垣と観音堂

石垣と観音堂

石段の先には、観音堂が建っています。

観音堂の南側から眺める境内の風景が何とも爽やかであります。

観音堂付近の風景

観音堂付近の風景

この日は、晴天だったことから、特に清々しさを感じられましたよ。

それでは、観音堂に上がってお参りをしましょう。

善峯寺は、平安中期の長元2年(1029年)に源算上人によって開かれました。

観音堂には、仁弘法師作の本尊・十一面千手観世音菩薩と源算上人作の脇立・十一面千手観世音菩薩が祀られています。

善峯寺は、西国三十三所観音霊場巡りの第二十番札所であり、源算上人作の十一面千手観世音菩薩は洛西三十三ヶ所観音霊場第一番の本尊とされています。

観音堂では、御朱印を授かっている参拝者の方もいらっしゃいましたよ。

観音堂には、ちょっと変わったお守り納めどころがあります。

お守り納めどころ

お守り納めどころ

これは、平成17年度(2005年度)桂昌院御遠忌法要に合わせ、金属工芸作家の小泉武寛氏が制作したものとのこと。

桂昌院は、徳川綱吉の母であり、元禄年間(1688-1704年)に善峯寺を再興しています。

桂昌院の名は、お玉といい、玉の輿の語源となったことで知られています。

上のお守り納めどころは、3匹の仔犬が玉の輿を担いで参拝者の幸せを願っているのだとか。

観音堂にお参りを済ませ、石段を上ると、参道脇の木陰で、サツキが咲いていましたよ。

サツキと新緑

サツキと新緑

この後は、遊龍の松を見に行きます。

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