京都には日本初のものがたくさんあります。
日本最初の小学校、日本最初の一方通行、日本最初の路面電車など、探せばいろいろとありますね。
京都市南区に建つ東寺も、日本で最初のものがあります。
それは、私立学校です。
平安時代にできた私立学校
日本で最初の私立学校は平安時代にできました。
当時の平安京には、大学寮という公的な教育機関がありましたが、入学資格が貴族の子弟など、身分の高いものに限定されていました。
高級官僚を養成することが目的だったので、庶民には門戸を開放していなかったのでしょう。
また、地方にも公的教育機関の国学がありましたが、こちらも郡司の子弟たちを対象としていたので、庶民とは縁がありませんでした。
そのような時代に庶民も教育を受けることができる私立学校を創設した人がいました。
それは、空海です。
空海と言えば、東寺を嵯峨天皇から譲り受けたことで有名ですね。
その空海が、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という私立学校を創設しました。
これが日本最初の私立学校です。
国が国費を投じて貴族の子弟たちに教育を施すのも大変なのに私学なんて成功するはずがない、それがその頃の綜芸種智院に対する見方でした。
しかも、貧しい人々にも教育を受けさせるというのだから、うまくいくはずがないと誰もが思っていました。
しかし、空海の熱意に賛同した人も中にはいました。
それが、藤原三守(ふじわらのただもり)です。
彼は、綜芸種智院創設のために土地と建物を空海に提供し、天長5年(828年)12月15日に日本初の私立学校が開校しました。
ちなみにこの日は、空海の師匠の恵果(けいか)が入滅した日にあたります。
綜芸種智院は、「衆芸(しゅげい)を兼ね綜(す)べし学校」という意味があります。
これは、総合的に学問を教える学校ということで、綜芸種智院に通う人たちは、様々なことを学びました。
また、空海は理想的な教育には、環境がいいこと、総合的な教育であること、優秀な教師がいることとしていますが、衣食の助けもなくてはならないとも述べています。
学問を志す者には、等しく衣食を支給すべきだというのが空海の考え方であり、その費用は彼が提供した僅かな私財と寄付によって賄われました。
つまり、学費が無料だったのです。
庶民に門戸を開放しても、学費が高ければ、彼らは教育を受けることができません。
だから、庶民教育のためには学費を無料にする必要があったんですね。
空海が庶民にも教育を施したのは、お互いが尊重しあえる世の中を築こうとしたことが理由です。
現在では、日本国民は平等に教育を受けることができますが、平安時代にこのような教育機関を創設したのは画期的なことでした。
東寺は、大きなお寺にしては、とても親しみがあります。
そのように感じるのは、誰もが気軽に境内に入ることができるからだと思いますが、1200年前に空海が平等に教育の門戸を開いたこととも関係があるのかもしれませんね。