2013年秋の京都御所の一般公開は、10月31日から11月4日まで。
毎年春と秋に行われ、そのたびに見に行ってますね。
ということで、今回もさっそく初日に京都御所を訪れました。
ここに来ると季節の移り変わりを感じるんですよね。
公事録附図のパネル展示
入口の宜秋門(ぎしゅうもん)では、いつも通り手荷物検査が行われていました。
カバンの中身をお巡りさんにチェックしてもらい、いざ、御所内へ。
今回の京都御所一般公開の模様については、展示物を中心にレポートしていきます。
御車寄(おくるまよせ)の玄関に展示されていたのは屏風です。
墨絵山水という水墨画で、筆者は岸駒(がんく)です。
富士山を描いたものです。
世界遺産に登録されたことから展示されているのでしょう。
諸太夫(しょだいぶ)の間では、いつも通り、桜の間、鶴の間、虎の間の襖絵が展示されていました。
さて、今回の一般公開では、明治10年(1877年)に岩倉具視の命により、江戸時代の宮廷行事を後世に伝えるために編纂した公事録の附図のパネル展示が行われていました。
附図を描いたのは、樋口守保です。
ところどころ、関連する建築物とともに公事録附図について紹介していきます。
紫宸殿と清涼殿
順路に従い、紫宸殿(ししんでん)へと続く門の近くまで来ると、活花が展示されていました。
この活花は、毎回展示されていますね。
左から嵯峨御流、仁和寺御室流、月輪未生流です。
今回の活花はどれも派手です。
紫宸殿の前に到着。
紫宸殿では、豊明節会(とよのあかりのせちえ)が新嘗祭(にいなめさい)の翌日辰の日の夜に天皇臨席のもと催されていたそうです。
前日に備えた新穀、白酒(しろき)、黒酒(くろき)を天皇の御膳に供するとともに臣下にも賜り、大歌所の楽人によって歌われる大歌に合わせて五節舞(ごせちのまい)が舞われていたとのこと。
紫宸殿の次は清涼殿へ。
清涼殿は、平安時代には天皇が日常生活を営む場として使用されていた御殿です。
元旦寅の刻に清涼殿東庭で行われていた四方拝は、念頭に天皇が天地四方等を拝する儀式です。
今でも四方拝は、元日早朝に皇居で行われているとのこと。
清涼殿の前に広がる白砂の庭。
これが東庭なのでしょうね。
毎年、4月1日と10月1日には、紫宸殿と清涼殿の帷(とばり)などの装束を取り替える更衣(ころもがえ)という儀式が行われていました。
公事録附図に描かれているのは、10月の清涼殿での更衣で、御帳台(みちょうだい)と几帳(きちょう)の帷の取り替え、御簾(みす)の内側に防寒用の壁代を取り付けているところです。
小御所から御三間まで
清涼殿の次は、小御所、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、御三間(おみま)へと向かいます。
小御所は、様々な行事が行われた建物で、武家との対面にも用いられていました。
展示されていた公事録附図は、小御所舞楽東使拝見之図(こごしょぶがくとうしはいけんのず)です。
上の図では、朝廷と幕府との交渉にあたる武家伝奏、東使、京都所司代、副使が着座し、小御所東庭での舞楽を拝見している模様が描かれています。
小御所の中には、東遊(あずまあそび)と呼ばれる歌舞を再現した人形が展示されていました。
上の写真の中央は、陵王(りょうおう)。
陵王は、勇猛な武将でしたが、その容姿が美しかったため、常に厳しい仮面をつけて戦場に臨んでいたといわれています。
展示されている陵王の人形もいかめしい面をつけていましたよ。
小御所の隣の御学問所では、塩川文鱗(しおかわぶんりん)の花鳥図が描かれた襖が展示されていました。
金色の襖にクジャクが描かれていますね。
御学問所では、天皇や皇太子、親王などが初めて漢籍を習う読書始が行われます。
上の図は、儲君親王御読書始之図(ちょくんしんのうおどくしょはじめのず)で、後に天皇となる予定の儲君親王が、御前に参進した侍読が孝経の一節を読むのを受けているところだとか。
御学問所の前にある御池庭の隅には、秋らしくススキがのびていましたよ。
御常御殿の中の襖はどれも金色。
ここは、天皇の日常の住まいとして使用されていた御殿です。
最後は御三間です。
展示されていた公事録附図は、七夕梶葉宸翰之図(たなばたかじのはしんかんのず)です。
この附図は、7月7日の七夕に天皇が御三間で、梶の葉に和歌を書き、それを彦星と織姫に手向ける行事を描いたものということです。
以上が、2013年秋の一般公開で展示されていた主なものです。
他にも、いろいろと展示されているものがありますが、毎回同じなので、写真等は省略しました。
いつもは景色を中心に見るのですが、こういう展示物をじっくりと見るのも、また違った楽しみがありますね。
なお、京都御所の詳細については以下のページを参考にしてみてください。