2013年10月14日一覧

確証はあっても埋葬されているのかわからない天智天皇山科陵

天智天皇と言えば、大化元年(645年)の大化の改新の中心人物として知られています。 まだ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれていた頃、中臣鎌足(なかとみのかまたり/藤原鎌足)とともに蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、その父の蘇我蝦夷(そがのえみし)も自害したことで、政治の中心が蘇我氏から天皇へと移りました。 その天智天皇が崩御したのは、天智天皇10年(672年)で、陵(みささぎ)は京都市山科区にあります。