大山崎町一覧

天王山登り口にある山崎宗鑑冷泉庵跡

京都府乙訓郡大山崎町の天王山のふもとに室町時代の連歌師であった山崎宗鑑の冷泉庵跡を示す石碑が置かれています。 滋賀県栗太郡常盤村志那で生まれた山崎宗鑑は、室町幕府9代将軍の足利義尚に仕えていましたが、義尚が近江で戦没した際、世の無常を感じて出家し大山崎に隠棲しました。 ちなみに出家する前は、志那弥三郎範重と名乗っていました。

JR山崎駅付近の山崎駅跡、河陽離宮跡、離宮八幡宮の池跡

京都府乙訓郡大山崎町のJR山崎駅を出てすぐのところにフェンスで囲まれた土地があります。 どこかの会社が取得し、これからビルでも建てるのかなと思えるような土地なのですが、近くに説明書が設置されており、「山崎駅跡・河陽離宮(かやりきゅう)跡と離宮八幡宮の池跡」と記されていました。 JR山崎駅のかつての駅舎があった場所かと思ってしまいますが、そうではありません。

離宮八幡宮にある塔心礎

先日、離宮八幡宮に参拝した時、境内の隅に置かれた塔心礎を見ました。 塔心礎は、五重塔など木造塔の中央に立つ心柱を支える礎石のことです。 五重塔と言えば、東寺や醍醐寺など京都市内に4つありますが、離宮八幡宮が建つ大山崎町にも、五重塔のような木造塔があったんですね。

初夏に参拝した宝積寺で小槌の宮に祈願・2022年

5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の大念寺に参拝した後、さらに天王山を5分ほど登り、宝積寺(ほうしゃくじ)を訪れました。 宝積寺は、宝寺とも呼ばれています。 宝寺なんて、福を招いてくれそうな縁起の良い名ですね。 天王山を上った時は、宝積寺で、しっかりと福を授かって帰りたいです。

初夏に参拝した離宮八幡宮・2022年

5月下旬。 京都府乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)に参拝しました。 以前に離宮八幡宮を訪れたのは10年以上前のことです。 久しぶりだと道に迷いそうになりましたが、なんとかたどり着くことができました。

山崎と京都を何度も往復した赤松円心

元弘2年(1332年)に楠木正成が天王寺で討幕のために挙兵し、その後、11月には護良親王(もりながしんのう)も吉野で挙兵しました。 これに対して、鎌倉幕府も楠木正成がたてこもる赤坂城と千早城、護良親王がたてこもる吉野へ大軍を動員し、反乱を鎮めようとします。 幕府軍が、楠木正成と護良親王に手を焼いている間、今度は、元弘3年1月に赤松円心が播磨で挙兵しました。

割拝殿がある神社

神社には、拝殿という建物があります。 拝殿では、神社の祭礼が行われたりしますが、参拝者が拝礼をする場所でもあります。 この拝殿には、建物の中央に通路が設けられた割拝殿(わりはいでん)というものがあります。 あまり見かけませんが、京都には割拝殿がある神社がいくつかあります。 私が訪れた京都の神社の中では、4つの神社に割拝殿がありました。

天王山の山頂にある十七烈士の墓

京都府乙訓郡大山崎町の天王山の山頂に「十七烈士の墓」があります。 天王山の史跡というと、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの碑が有名ですが、十七烈士の墓も幕末維新の史跡として重要なものです。