離宮八幡宮にある塔心礎

先日、離宮八幡宮に参拝した時、境内の隅に置かれた塔心礎を見ました。

塔心礎は、五重塔など木造塔の中央に立つ心柱を支える礎石のことです。

五重塔と言えば、東寺醍醐寺など京都市内に4つありますが、離宮八幡宮が建つ大山崎町にも、五重塔のような木造塔があったんですね。

大規模な塔に使われた塔心礎

離宮八幡宮には、JRの山崎駅から南に約3分歩くと到着します。

阪急電車の大山崎駅からだと西に徒歩約5分です。

塔心礎は、境内の南に建つ惣門から入って右側にあります。

惣門

惣門

こちらが塔心礎です。

塔心礎

塔心礎

大きな石の中央にくぼみがあり、一見すると手水鉢のような形をしています。

離宮八幡宮の説明書によると、この塔心礎は、後に扇形に彫り込み、手水鉢として使用されたそうですから、これを見て手水鉢と思っても無理はないですね。

礎石の最大幅は約266cm、中央の心柱を立てる部分の柱座は短径106cm、長径110cmあり、かなり大規模な塔であったと考えられています。

また、中央には直径約20cm、推定深35cmの舎利孔(しゃりこう)が設けられ、その形式から制作年代は奈良時代以前と考えられます。

舎利孔とは、お釈迦さまの骨である舎利や宝物を埋納するための穴です。

後に手水鉢として使用するために柱座部分を扇形に彫り込んだため、舎利孔がわかりにくくなっています。

ところで、奈良時代に大きな木造塔が建っていたのは、どのようなお寺だったのでしょうか。

説明書では、7世紀の山崎廃寺、8世紀前半の行基による山崎院、9世紀中葉に壱演が建立した相応寺などが想定されていると記されていました。

木造塔が大山崎に建っていたことは明らかなのでしょうが、どのお寺のものなのか特定できていないようです。

塔心礎は、19世紀初めの「山崎通分間延絵図」では離宮八幡宮南門前の交差点付近にあり、「手水石」と記されていたとのこと。

また、別の絵図では、「かしき石」とも記されていたようです。

大山崎は、幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、戦禍に遭っていますが、それより前にすでに木造塔は失われていたんですね。

一体、どのような木造塔だったのか気になります。

今後の調査で、木造塔の全容が明らかになる時が来るかもしれません。

離宮八幡宮に参拝した時は、塔心礎も忘れずに見てください。

なお、離宮八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。