上京区一覧

本阿弥光悦が前半生を過ごした京都市上京区・本阿弥光悦京屋敷跡

江戸時代前期の芸術家の本阿弥光悦ゆかりのお寺が、京都市北区の鷹峯(たかがみね)にあります。 そのお寺は光悦寺です。 本阿弥光悦は、近衛信尹(このえのぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とともに寛永の三筆と称されるほど書がうまかったということですが、他にも陶芸や蒔絵にも才能を発揮したことで知られています。 そういった芸術の才能が育まれたのは、やはり、鷹峯といった景観の美しい地で生まれ育ったからなのかなと思ってしまいますが、実は、彼が鷹峯に移ったのは、58歳の時で、若いころは、現在の京都市上京区に住んでいました。

密集して立つ平安宮内裏跡の史跡

現在の京都市上京区は、平安時代に平安宮内裏があった場所です。 二条城の北の辺りですね。 平安宮内裏跡とされる辺りを散策していると、それを示す石碑がたくさんあります。 どの石碑の近くにも、簡単な説明書が設置されているので、そこが平安時代にどういう場所だったのかを知ることができます。 以前に私も、この辺りを散策し、いくつか石碑を見て来たので、今回の記事ではそれらを紹介します。

御陵衛士の間者の粛清・京都守護職屋敷跡

慶応3年(1867年)3月。 新撰組の参謀であった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が仲間とともに御陵衛士(ごりょうえじ)を結成しました。 これは、事実上の新撰組脱退だったのですが、伊東は局長の近藤勇(こんどういさみ)に自分たちは脱退ではなく分離しただけだと主張します。 そして、薩長と親密に交わり、その機密を入手して新撰組の活動に役立てると言って、自分たちの脱退をうまく正当化しました。 ただ、伊東は、自分に味方する者すべてを脱退させたわけではなく、スパイとして、佐野七五三助(さのしめのすけ)、茨木司(いばらきつかさ)、中村五郎、富永十郎など10名の同志を新撰組に残しておき...

サッカーの必勝祈願で参拝したい白峯神宮の地主社

京都市上京区に建つ白峯神宮は、蹴鞠の神さまが祀られているということから、球技 、特にサッカーの上達にご利益があると言われています。 そのため、ワールドカップやオリンピックなど、サッカーの大会が行われるときには、日本代表の必勝を願って参拝される方も多いですね。 ただ、白峯神宮に参拝した時には、本殿だけでなく末社の地主社(じしゅしゃ)にも、しっかりとお参りしておかないと、そのご利益を十分に授かることはできないでしょう。

阿弥陀寺の織田信長と信忠父子の墓

京都市上京区の寺町通に建つ阿弥陀寺。 ここは、歴史ファンの方なら、ご存知かもしれませんが、織田信長と嫡男の信忠のお墓があるお寺です。 織田信長は、天正10年(1582年)6月2日に家臣の明智光秀に宿泊していた本能寺を襲撃され、天下統一を目前にしてこの世を去りました。 燃え盛る本能寺の中で自刃した織田信長の遺体は、その後、見つからなかったと伝えられていますね。

阿弥陀寺の真っ白な桜と本満寺の八重紅枝垂れ桜

4月上旬に京都市上京区の寺町通沿いのお寺にお参りをしてきました。 この辺りにあるお寺は、観光寺院ではないので、訪れる方が少なめです。 なので、桜の時期でも、境内が混雑することがないんですよね。 参拝したのは、阿弥陀寺と本満寺。 ソメイヨシノが終わりに近づいていましたが、どちらのお寺でも、見ごろを迎えている桜がありました。

上御霊神社の桜・2014年

4月上旬に京都市上京区に建つ上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に桜を見に行ってきました。 京都市中心部では、そろそろソメイヨシノが散り始めていたので、上御霊神社の桜も、おそらく盛りを過ぎているとは思ったのですが、実際に行ってみないことにはわかりません。 時間に余裕もありましたから、お参りを兼ねてお花見をすることに。

白峯神宮の満開の左近の桜・2014年

4月上旬に京都市上京区の白峯神宮にお参りをしてきました。 白峯神宮には、舞殿の前に左近の桜が植えられており、そろそろ見ごろを迎えているんじゃないかと思ったので、参拝したんですよね。 その期待に果たして応えてくれたのでしょうか。