上京区一覧

武力討幕を謀った小御所会議

先日、京都御所の特別公開に行った時に、御所内の中央よりやや南に建つ小御所を観てきました。 小御所は、主に皇太子の元服式や立太子礼に使用されたり、幕府の使者や大名の拝謁に使用された建物です。 小御所の前には、大きな池のある御池庭が造られており、小御所の中から眺められるようになっています。きっと、昔の人は小御所から風情ある御池庭を観て楽しんでいたのでしょう。 そんな風流なことをイメージしながら、特別公開の時は小御所を拝観していたのですが、歴史的には小御所は時代を動かす重要な会議が行われたことで有名です。

蛤御門の名前の由来

京都御苑の西側に蛤御門(はまぐりごもん)という門があります。 正式には、新在家御門といいます。 しかし、江戸時代のある時期から蛤御門と呼ばれるようになりました。

京都御所特別公開2009年秋

11月1日から10日までの間、京都御所が特別公開されました。 このブログで事前にお知らせしておけば良かったのですが、自分自身も公開期間の最後の方で気付いたので、それができませんでした。 申し訳ありません。 今回の記事は、11月9日に京都御所に訪れた時の特別公開の内容を紹介したいと思います。

京都を焼き尽くした応仁の乱

京都の町は、歴史の中で、数々の戦乱や火災によって焼失してきました。 その中でも、応仁元年(1467年)から11年間にわたって続いた応仁の乱は、町を焼き尽くし、京都の人々や文化に大きな影響を与えました。 おそらく、京都の焼失の中では応仁の乱が最大規模だったのではないでしょうか。 ところで、この応仁の乱はなぜ起こったのでしょうか? 歴史の教科書でも採りあげられていますが、今一度みていきたいと思います。

天神信仰のはじまり・文子天満宮

京都で天神様と言えば、学問の神様である菅原道真のことを指します。 そして、菅原道真が祀られているのが北野天満宮ということもあって、受験の時期になると多くの受験生が合格祈願に訪れます。 でも、菅原道真を最初に祀ったのが、北野天満宮ではなく文子天満宮(あやこてんまんぐう)であるということは、あまり知られていません。

天変地異は怨霊の仕業・上御霊神社

平安時代の人々は、地震や台風などの自然災害、疫病の流行がなぜ起こるのかわかりませんでした。 科学の発達した現代では、これらの原因はテレビのニュースや新聞を読めば簡単にわかります。 では、科学の発達していない当時の人々は、天変地異や疫病の流行にどう対処したのでしょうか?

伊藤若冲と京都

石峰寺の羅漢参道にびっくりの中でたくさんの石仏について紹介しました。 この石仏の下絵をしたのが伊藤若冲たっだのですが、若冲はいったいどういう人物で京都とどのような関係があったのでしょうか? 少しばかり調べてみたので、紹介したいと思います。

護王神社と猪

京都御所の蛤御門近くに護王神社という神社があります。この神社に入ると一般的な神社と比較して少し変わった雰囲気が漂っています。 どこが変わっているのか? そう、それは護王神社が猪ばかりということです。