雨にも負けない近衛邸跡の桜・京都御苑
もう駄目かもしれない。 3月20日から22日までの3連休に見ごろを迎えた京都御所の北側にある近衛邸跡の糸桜だったのですが、23日から25日までの3日間連続で京都は雨が降ったせいで、26日には散ってしまっている可能性が高い状況でした。 しかし、行ってみないとわからないため、26日に近衛邸跡を訪れることにしました。
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もう駄目かもしれない。 3月20日から22日までの3連休に見ごろを迎えた京都御所の北側にある近衛邸跡の糸桜だったのですが、23日から25日までの3日間連続で京都は雨が降ったせいで、26日には散ってしまっている可能性が高い状況でした。 しかし、行ってみないとわからないため、26日に近衛邸跡を訪れることにしました。
京都市上京区に千本釈迦堂の通称で親しまれる大報恩寺があります。 その大報恩寺には、落ち着きのある桧皮葺の本堂が建っているのですが、この本堂の建設については、大工の妻の内助の功が今も語り継がれています。
平治元年(1159年)に起こった平治の乱で、平清盛が源義朝に勝ち、以後20年以上もの間、平家の全盛期が訪れました。 しかし、清盛が亡くなって、すぐに平家は衰退し、壇ノ浦の戦い(1185年)で源氏に滅ぼされることになります。 その時、平家を滅ぼした源氏の武将が、源義経でした。
あなたは、あることが上手な人の前で、そのことを披露するのを躊躇してしまうことはないですか。 例えば、プロゴルファーの見ている前でゴルフをしたり、歌手の前で歌ってみたり。 プロの前で披露することは少ないのかもしれませんが、自分よりも上手な人の前でゴルフをしたり歌を歌ったりするのは、恥ずかしい感じがして、遠慮してしまいますよね。 これと似たような話が、上京区に建つ浄土院というお寺にも伝えられています。
毎年、春と秋に特別公開される京都御所は、雅な観光名所として人気があります。 しかし、京都御所は、今の雅なイメージからは想像できませんが、平安時代末期には、平治の乱の戦場となったことで知られています。
京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな この歌は、菅原道真が太宰府に左遷させられる前に詠んだ歌です。 そして、自邸に植えられていた梅の木が道真をしたって、大宰府まで飛んでいったと伝えられています。 そのため、道真を祀っている北野天満宮には、2,000本もの梅の木が植えられており、毎年2月25日には、梅花祭が催されます。
京都市上京区の北の方に扇町児童公園という公園があります。 そして、この公園のすぐ側に水火天満宮という小さな神社が建っています。 天満宮という社名であることから学問の神様の菅原道真と所縁のあることがわかります。 では、菅原道真とどんな関係があるのでしょうか。
京都市には、11の区があります。 11の区の中には、左京区と呼ばれる区と右京区と呼ばれる区が含まれています。 この2つの区の位置を地図で確かめると違和感がありませんか? 地図上で左京区は右側(東側)にあり、右京区は左側(西側)にあります。 左右が反対になっているんですね。
以前、このブログで、新京極通のお寺や神社について紹介しました。 新京極通はアーケード街となっていて、その西側の通りである寺町通もアーケード街となっています。 寺町というと一般的にこのアーケード街をさすことが多いのですが、今回はアーケード街より北の方の京都御苑付近の寺町通に並ぶお寺を紹介したいと思います。