6月15日に京都市東山区の豊国神社に参拝した後、北隣に建つ方広寺にも参拝しました。
方広寺も、豊国神社と同じく豊臣秀吉ゆかりの地。
豊国神社と一緒にお参りしておきたいお寺です。
鐘楼に上がれなくなった
方広寺には、京阪電車の七条駅から北東に約8分歩くと到着します。
市バス停「博物館三十三間堂前」からだと北に徒歩約4分です。
豊国神社から方広寺の境内に入って真っ先に目に入るのが、石垣の上に建てられた鐘楼です。

鐘楼
以前は、石段を上がって鐘楼の正面に行けたのですが、この日はロープが張ってあり、鐘楼に近づけなくなっていました。
1月に参拝した時には、特別公開が行われていて、鐘楼内に入れるようになっていましたが、普段は上がれないようにしたのかもしれません。
鐘楼に吊るされた梵鐘は、人がすっぽり入れそうなくらい巨大。

梵鐘
高さが4メートルを超え、外径が3メートル近くあるので、お相撲さんでも余裕で入れます。
でも、実際に見ると、そこまで大きく感じないのが不思議。
梵鐘には、豊臣家を滅亡に導いた「君臣豊楽」と「国家安康」の銘も見え、わかりやすく白い線で囲まれています。

「君臣豊楽」と「国家安康」
ただ、鐘楼に上がれなくなったので、遠目からだと小さくて文字を確認するのは厳しいです。
写真に撮っても判別が難しい。
秀吉は、天正14年(1586年)に東大寺の大仏にならって、それより大きな大仏の建立を計画し文禄4年(1585年)に完成させます。
その大仏が安置されたのが、ここ方広寺。
しかし、翌年に京都を襲った大地震で、大仏はあっけなく倒壊しました。
国家の安泰のために造営したのに自らが地震で倒れるとは、なんという体たらくかと怒る秀吉。
その怒りにまかせ大仏に矢を射たというのですから、神仏を恐れる所業という表現を超えて、秀吉が絶対的な権力を持っていたことを想起させます。
後に秀吉の子である秀頼が金銅仏として再建しますが、その大仏も今は失われています。
鐘楼の北に本堂が建っているのでお参りをしましょう。

本堂
その隣には、秀吉が護持していた大黒さまを祀るお堂。

大黒天を祀るお堂
大黒さまは、伝教大師最澄作と伝えられています。
ひょうたんの実がなる
境内の東側では、豊国神社と同様にひょうたんが育てられています。

ひょうたん
ひょうたんの葉は、手のひらをいっぱいに広げたよりも大きく、ハスの葉と同じくらいあります。
花はすでに終わっているようで、ひとつもない。
花が終わると実をつけるのですが、すでにいくつもぶら下がっていました。

ひょうたんの実
実の下のまん丸とした部分は、つやつやして、薄っすらと境内を映し出す。
もいだら、先端からお酒が出てくるのではないかと想像するのは、日本酒のCMの影響か。
手水鉢は、いつも蓋がされた状態。

手水鉢
夜な夜な、ひょうたんをもぎに来るカッパを閉じ込めているんじゃなかろうかと、日本酒のCMに引っ張られた妄想が頭に浮かぶ。
境内には数人しかおらず静か。

境内
頭上には、青空が見えるも、梅雨を思わせる厚めの雲が浮かび全体が日陰に。
秀吉の栄華の跡にしては寂しさを感じる景色だなと思いながら、北西角の坂道を下って大和大路通に出ました。
なお、方広寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。