亥年の初夏に参拝した護王神社・2019年

5月15日に京都市上京区の京都御苑の新緑を見た後、西隣に建つ護王神社に参拝しました。

護王神社の境内には、多くのイノシシがいることから、亥年の正月には多くの人が参拝に訪れます。

2019年も亥年だったため、1月は参拝者が多かったですね。

さすがに5月になっているので、参拝者は少なくなっているのではないでしょうか。

参拝者で賑わう境内

護王神社の最寄り駅は、地下鉄の丸太町駅もしくは今出川駅です。

丸太町駅からだと北に徒歩約5分、今出川駅からだと南に徒歩約5分で、護王神社の鳥居の前に到着します。

鳥居

鳥居

5月1日に天皇陛下が即位されたことから、鳥居には、「奉祝 天皇陛下御即位」と記された板がかかっていました。

鳥居の奥には表門があり、「護王神社足腰御守護」と書かれた大きな木の札が掲げられています。

護王神社足腰御守護

護王神社足腰御守護

当社に祭神として祀られている和気清麻呂(わけのきよまろ)は、九州に左遷させられた時に足が萎えたのですが、どこからかイノシシの群れがやってきて道案内をし、不思議なことに足萎えも治癒したと伝えられています。

そのため、護王神社ではイノシシを霊猪として崇め、また、足腰の守護神として信仰されています。

表門をくぐった先には、拝殿が建っています。

拝殿

拝殿

拝殿にも、天皇陛下の御即位を奉祝する垂れ幕が吊るされていました。

いつもは人が少ない護王神社ですが、この日は多くの参拝者で境内が賑わっていました。

葵祭の路頭の儀が京都御苑であったので、それを見た人たちが護王神社に立ち寄ったのでしょうか。

本殿前には、列ができていたので、人が減るのを待ってからお参りをしました。

本殿

本殿

足腰が健康であるようにお願いしておきましたよ。

護王神社は、文覚(もんがく)上人が、高雄の神護寺を再興する際、和気清麻呂を護王善神として奉じ、同寺の鎮守社としたのが始まりと伝えられています。

それから約700年後の嘉永4年(1851年)に孝明天皇が和気清麻呂に護王大明神の神号を与え、明治7年(1874年)に護王神社と改称しました。

現在地に移転してきたのは、明治19年です。

拝殿の北隣に建つ聖鳳殿には、亥年の巨大絵馬がかかっています。

亥年の巨大絵馬

亥年の巨大絵馬

この日は、境内にテントも設置されていました。

テント

テント

テントの中では、参拝者の方々が休憩しています。

それにしても、護王神社にこんなに人がいるとは予想外でした。

境内の南側の社務所には、猪コレクションとして、多くのイノシシが展示されています。

同じような姿をしたイノシシが3頭。

イノシシの置物

イノシシの置物

右側のイノシシだけ上を向いていますね。

拝殿の天井には、「亥」と記された赤色の布が張られていました。

拝殿の天井につるされた亥年の布

拝殿の天井につるされた亥年の布

これは凧でしょうか。

本殿脇の手水舎には、足腰御祈願陶板符がたくさん並んでいました。

足腰御祈願陶板符

足腰御祈願陶板符

足腰御祈願陶板符の裏側には、参拝者の文章が書かれています。

絵馬のように願い事を書いて奉納するのでしょうか。

この日は、授与所も大賑わいで、多くの参拝者がお守りなどを授かっていました。

今年は亥年なので、護王神社の参拝者は年末まで多そうです。

本殿にお参りを済ませたので、そろそろ護王神社から出ることに。

表門の脇にも、イノシシがいましたよ。

表門脇のイノシシ

表門脇のイノシシ

以前から、この場所にイノシシがいたのでしょうか。

何度も護王神社に参拝していますが、記憶がありません。

この後は、下御霊神社に参拝しました。

なお、護王神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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