1月下旬に京都市左京区の大蓮寺にソシンロウバイを見に行った後、南東に少し歩き寂光寺を訪れました。
寂光寺は、囲碁の本因坊ゆかりのお寺。
囲碁の世界では有名ではありますが、一般にはあまり知られておらず、参拝者はいつも少ないです。
特に冬は、京都に観光で訪れる人が少ない季節ですから、さらに参拝者は少なくなります。
本因坊の報恩塔
寂光寺の最寄り駅は、地下鉄の三条京阪駅または京阪電車の三条駅です。
駅からは、北東に徒歩約7分で、北向きに建つ山門の前に到着します。
山門の前には、寂光寺が囲碁の名人の本因坊算砂(さんさ)上人ゆかりのお寺であることを示す石柱が立っています。
山門をくぐった左手には、大きな第一世本因坊報恩塔が置かれています。
本因坊算砂上人は、近世囲碁史の開祖であり、寂光寺の2代目の上人です。
僧名は、本行院日海上人といいます。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が囲碁を学んだのが、この算砂上人であり、貴族や僧侶の遊興に過ぎなかった囲碁が民間に広まったのは、彼の時代です。
第一世本因坊報恩塔から参道を南に進むと、本堂やその他の建物が見えてきます。
まずは本堂にお参り。
本堂に置かれていた寂光寺のしおりを読むと、当寺は、日蓮宗の京都十六本山のひとつで、天正6年(1578年)に久遠院日淵上人が、京都出水室町近衛町に久遠院・寂光寺を創建したのが始まりとのこと。
天正18年には、寺町竹屋町に移転し、境内に久成坊、実教院、実成坊、詮量院、本成坊、玄立坊、本因坊の7つの塔頭(たっちゅう)を建て、活発に布教活動を行っていました。
しかし、宝永5年(1708年)の大火で、寂光寺は焼失します。
その後、第七世住職の日證上人の時代に現在地に移り、本堂、客殿、庫裡(くり)、鐘楼堂、山門などが再建されました。
本堂の近くには、ナンテンの赤い実。
花弁がたくさんある椿も咲いていました。
本堂の南隣には、囲碁本因坊元祖之道場があります。
算砂上人は、元和9年(1623年)に亡くなりました。
元禄元年(1688年)には、本因坊道策が弟子を伴い寂光寺で算砂上人の法要と追善碁会を開き、本因坊の家元に就任した者は、寂光寺に参詣し報告することが定められました。
寺務所の前には、プランターに植えられたハボタン。
こちらは、境内の南側にある本因坊歴代墓所です。
墓所の前では、背の低いソシンロウバイが、黄色い花を咲かせていました。
私が寂光寺の境内にいる間は、他に誰も参拝に来ませんでした。
いつもながら、寂光寺境内は、その名のとおり静寂でしたよ。
なお、寂光寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。