2月下旬。
京都市中京区の善想寺に参拝しました。
善想寺では、1月10日から3月18日まで、京の冬の旅の非公開文化財特別公開が実施されています。
これまで善想寺には一度も訪れたことがなかったのですが、京の冬の旅で初公開されることを知ってお参りに行くことにしました。
本堂内を拝観
善想寺は、阪急電車の大宮駅または京福電車の四条大宮駅から北に5分ほど歩いた辺りに建っています。
山門は、六角通に面して北向きに建っており、その前には京の冬の旅の案内が出ていました。
山門をくぐると左手に拝観受付があるので、ここで600円を納めます。
そして、玄関から本堂の中に入ります。
善想寺は、想阿善悦上人の法名の2字をとって名付けられた浄土宗のお寺です。
当地は、平安中期に上皇の御所であった四条後院(しじょうこういん)の跡地だそうです。
本堂の中央には、本尊の阿弥陀三尊像が安置されています。
その阿弥陀さまの前には御神鏡があり、神仏習合の特徴がみられます。
また本堂宮殿には、菊や鳳凰も見られ、皇族と関係があったお寺であることもうかがえます。
善想寺は、天正10年(1582年)に豊臣秀吉が再建したこともあり、豊臣家の桐の紋も見られます。
本堂の中央だけでなく、両脇壇にも阿弥陀三尊像が祀られています。
左側の脇壇には一光三尊形式の善光寺式阿弥陀三尊、右側の脇壇には来迎の阿弥陀三尊がいらっしゃいます。
善光寺式阿弥陀三尊の脇侍は両手を胸前で水平に重ねているのが特徴的です。
また、来迎の阿弥陀三尊の両脇には蓮台を持つ観音菩薩と勢至菩薩がいらっしゃり、特に正座のような姿勢の観音菩薩が珍しかったです。
本堂内の南側には、七難図も展示されていました。
自然災害や追剥など、7つの災難が描かれています。
遠近法を取りいれており、円山応挙の作と伝えられています。
法然上人が布教している絵画も展示されていましたよ。
石仏阿弥陀如来
本堂を出て、境内の南側にある墓地へ。
墓地の入り口には、石仏阿弥陀如来が祀られています。
この石仏阿弥陀如来は、四条後院に祀られていたと伝えられています。
「白川の赤石」と呼ばれている花崗岩で造られており、鎌倉時代末期や南北朝の争乱の際には土中に埋めて守ったと言われています。
石仏阿弥陀如来は平安時代後期に造立されたそうですから、800年以上の歴史があることになりますね。
善想寺の墓地には、華道の池坊の歴代のお墓もあります。
泥足地蔵
墓地を出ます。
本堂の正面には大きな石碑が置かれていました。
「大悲」と刻まれているのでしょうか。
山門と本坊の間に建つ小さな建物は地蔵堂です。
地蔵堂の中には、泥足地蔵と呼ばれるお地蔵さまが祀られています。
その昔、田植えの時に急病で倒れた百姓に代わり、このお地蔵さまが田植えをし、足が泥だらけになったそうです。
それが、泥足地蔵と呼ばれるようになった理由なのだとか。
また、難産の時に妊婦の苦しみの身代わりとなり玉のような汗を流したとも伝えられていることから、汗出し地蔵とも呼ばれています。
泥足地蔵は、伝教大師最澄が自ら彫った念持仏で、最澄の没後は滋賀県坂本村に祀られていましたが、天正15年に当地に迎えられました。
泥足地蔵の前には、サイコロのような石仏がありました。
こちらも何か意味がありそうですが、わかりません。
本堂の阿弥陀さまと泥足地蔵にお参りを済ませたので、そろそろ外に出ましょう。
本堂内は金色が多く、荘厳でしたよ。
なお、善想寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。