二條家邸跡の地下通路と井戸

藤原氏には、摂政や関白に就ける五摂家と呼ばれる家がありました。

五摂家には、近衛、九条、二條、一條、鷹司があり、鎌倉時代から江戸時代まで摂政や関白に就いていましたが、明治時代に入ると五摂家から摂政にも関白にも任命されなくなりました。

五摂家の史跡は、今も京都市内に残っています。

上京区の京都御苑の北側に建つ同志社女子大学にも、五摂家のひとつ二條家の史跡が残っています。

地下通路の跡

同志社女子大学は、地下鉄今出川駅から今出川通を東に5分ほど歩いた辺りに建っています。

同志社女子大学の入り口には、かつて、この地が二條家の邸宅があったことを示す石碑が設置されています。

二條家邸跡

二條家邸跡

石碑の近くに置かれているのは、二條家邸の礎石で、平成19年度(2007年度)の発掘調査の際に出土したものです。

同志社女子大学の東半分が二條家の邸宅だったそうですから、かなり広い敷地を持っていたんですね。

同志社女子大学の敷地内には、二條家邸の地下通路の跡も残っています。

地下通路の跡

地下通路の跡

平成26年度の新校舎(希望館)建設に伴う発掘調査で、江戸時代中ごろの石組の地下通路が数基確認され、そのひとつを移築したものだそうです。

同志社女子大学の説明書によると、この地下通路は、下々道(しもじもみち)と呼ばれたもので、その上部には渡り廊下が設置されていたと推測されています。

数基の地下通路は渡り廊下の位置を示しており、複数の建物が渡り廊下で接続される上級の公家屋敷であったことがわかるのだとか。

二條家が公家の筆頭五摂家であることを感じさせる考古学的に貴重で重要な建築遺構だそうです。

井戸の跡

地下通路と同じく平成26年度の希望館建設に伴う発掘調査では、井戸も検出されました。

井戸の跡

井戸の跡

幕末期に二條家邸で構築された井戸数基のうちの1基を移築したものです。

この時期の二條家当主であった二條斉敬は、孝明天皇の関白、明治天皇の摂政となり、朝廷での重要な舵取りを担っていました。

会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)や将軍、諸大名も数多く訪ねてきたそうです。

井戸の深さは、約2.5mでしたが、安全上のため60cmの深さに留めて保存しているとのこと。

また、この井戸は、幕末動乱の中、歴史上重要な二條家邸にあった遺構として、その当時をうかがい知る好資料といえるそうです。

二條家邸跡の地下通路と井戸は、今出川通から見ることができるように保存されています。

京都御苑に観光で訪れた時は、二條家邸跡の史跡もぜひ見てください。

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