奥の細道を著した江戸時代の俳人松尾芭蕉は多くの俳句を残しています。
そして、芭蕉の句碑は全国のいろんなところにあります。
京都にも芭蕉の句碑がいくつかありますね。
京都にあるすべての芭蕉の句碑を把握しているわけではないのですが、伏見区の西岸寺(さいがんじ)の境内にも芭蕉の句碑があります。
任口上人を訪れた時に詠んだ俳句
西岸寺は、京阪電車の伏見桃山駅、または近鉄電車の桃山御陵前駅から西に10分ほど歩いた辺りに建っています。
入口には門はありませんが、「油懸地蔵尊」の赤色ののぼりがあり、また西岸寺と刻まれた石柱があるので、それとわかります。
また、「芭蕉翁来訪の折に詠じし句碑」と刻まれた石柱も近くに立っています。
入口から参道を進むと、その脇にはたくさんの車が停まっていました。
境内には、私以外に人がいないので、境内の一部を駐車場として貸し出しているのでしょうね。
参道の奥にある比較的新しいお堂は本堂でしょうか。
鉄の柵でできた扉が閉まっているので、これ以上お堂に近づけません。
さて、芭蕉の句碑は、お堂の左前にあります。
句碑には芭蕉塚と刻まれており、その左には芭蕉が西岸寺を訪れた時に詠んだ俳句も刻まれています。
我衣(わがきぬ)に ふしみの桃の 雫せよ
貞享2年(1685年)に当寺の住持であった任口(にんこう)上人の高徳を慕って訪ねた芭蕉が、出逢いの喜びを伏見の名物であった桃にことよせて詠んだものだとか。
「野ざらし紀行」に「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書があります。
俳句の意味は、「伏見には日本一という桃の林があって、その桃からの雫が自分の衣を濡らすように任口上人の徳もいただきたい」というものです。
任口上人は、西岸寺の三世住持で、重頼門下の俳人でした。
井原西鶴などの著名な俳人も多く訪れたそうです。
ちなみに芭蕉塚は、文化2年(1805年)の建立とのこと。
油掛地蔵
西岸寺に訪れた時には、地蔵堂に祀られている油掛地蔵にもお参りしておきましょう。
その昔、山崎の油売りが西岸寺の門前で転んで油をこぼした時、その油をお地蔵さまにかけると商売繁盛に恵まれたそうです。
以来、油掛地蔵と呼ばれるようになり、この付近の町名も油掛となっています。
地蔵堂の開扉は金曜日の午後1時から3時までです。
地蔵堂内の参拝には、1人200円の御油料を納めます。
地蔵尊の油のお供えは、1,000円とのこと。
商売繁盛のご利益を授けてくれるということですから、しっかりとお参りしておきましょう。
また、金曜日に訪れた時には、地蔵堂内も参拝しておきたいですね。
なお、西岸寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。