毎年10月22日は、京都では三大祭のひとつ時代祭が行われます。
2012年の時代祭は、晴天に恵まれ、観覧に絶好の天候でした。
このような晴れの日に時代祭を見ることができるとは幸運なことです。
とういことで、私も京都御苑で時代祭を観覧してきたので、今回の記事から数回にわたって、その模様を紹介していきます。
維新勤王隊列
時代祭は、都が京都に置かれていた平安時代から明治維新までの各時代を遡るように京都御所から平安神宮まで、各時代の装束を着た行列が練り歩く祭礼です。
最初に登場する行列は、明治維新時代です。
そして、明治維新時代の最初の行列が維新勤王隊列です。
明治新政府軍と旧幕府軍が戦った鳥羽伏見の戦いから函館戦争まで続く戊辰戦争(ぼしんせんそう)。
その時の新政府軍の軍装をした行列が最初に登場します。
下の写真に写っているのは、新政府軍の指揮官の格好をした行列です。
髪が黒いことから薩摩藩兵と思われます。
ちなみに白い髪は長州藩兵です。
明治新政府軍というと、薩摩藩、長州藩、土佐藩が有名ですが、その中には、京都の山国村の人々で構成された山国隊も加わっていました。
維新勤王隊列の中心となっているのが、この山国隊で、笛を吹いている列や鉄砲を担いでいる列など、様々です。
やはり、京都の祭りということもあって、京都出身の山国隊が目立つようにしているのでしょうね。
維新志士列
維新勤王隊列に続いては、維新志士列の登場です。
明治維新を実現するために幕末は、勤王の志士と呼ばれる人々が活躍しました。
彼らの多くは、明治維新の前に非業の死を遂げています。
維新志士列の先頭は桂小五郎が歩きます。
西郷隆盛と大久保利通と並び維新の三傑と呼ばれた長州藩出身の桂小五郎は、薩長同盟の締結に貢献し、明治維新の実現に貢献しました。
この後、西郷隆盛、坂本竜馬と続き、高杉晋作の登場です。
長州藩出身の高杉晋作は、幕府の長州征伐の時に活躍した人物です。
明治になる直前に病死したため、維新の実現を見ずにこの世を去っています。
下の写真に写っているのは、久坂玄瑞(くさかげんずい)と真木和泉です。
2人とも元治元年(1864年)の幕府軍と長州藩が戦った蛤御門(はまぐりごもん)の変で戦死しています。
続いては、七卿落(しちきょうおち)の行列です。
文久3年(1863年)に長州藩が京都から追放される八月十八日の政変が起こった時、三条実美(さんじょうさねとみ)ら7人の長州藩寄りの公卿が、京都から長州へと逃れたのが七卿落です。
この時、七卿とともに長州に逃れたのが久坂玄瑞でした。
長州藩で久坂玄瑞や高杉晋作に大きな影響を与えた吉田松陰の登場。
吉田松陰は、黒船が日本に来航した時、黒船に乗ろうと企みましたが、失敗しました。
これが、幕府にばれてしまい、吉田松陰は捕えられ、安政の大獄で処刑されています。
維新志士列には、他にも頼三樹三郎(らいみきさぶろう)や平野国臣(ひらのくにおみ)などの勤王の志士たちが登場します。
しかし、この時代に欠かすことのできない新撰組は明治維新時代の行列にはいません。
時代祭が始まったのが明治時代なので、その時の時代背景からすると長州藩と敵対していた新撰組を行列に加えることができなかったのかもしれませんね。