葉山観音にある梅田雲浜の旧跡
叡山電車の一乗寺駅から東に15分ほど歩くと詩仙堂というお寺に到着します。 詩仙堂から北に5分ほど進むと、今度は山のふもとの木々の中に小さなお堂が現れます。 このお堂は、葉山観音というお寺のものです。
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叡山電車の一乗寺駅から東に15分ほど歩くと詩仙堂というお寺に到着します。 詩仙堂から北に5分ほど進むと、今度は山のふもとの木々の中に小さなお堂が現れます。 このお堂は、葉山観音というお寺のものです。
京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の参道に翠紅館(すいこうかん)という建物が建っていました。 翠紅館は、もともと西本願寺の別邸。 幕末には、勤王の志士と呼ばれた多くの人物が、ここで会議を行っています。
地下鉄京都市役所前駅の改札を抜けて、地上に上がると、ホテルオークラ京都の大きな建物が現れます。 今では全く面影が残っていませんが、この地は、江戸時代に長州藩の屋敷が置かれた場所です。
幕末の京都の治安を守るために結成された新撰組。 新撰組の局長は近藤勇(こんどういさみ)で、彼は、京都でテロ行為を行っていた不逞浪士たちに恐れられる存在でした。 その近藤勇と関係のある藤森神社が京都市伏見区に建っています。
近代の政治家の中には、幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた人物がたくさんいます。 西郷隆盛や大久保利通など、明治時代前期の政治家が、その典型ですね。 明治維新から約70年経った昭和15年(1940年)。 すでに幕末は、歴史の世界となりつつあった時代に西園寺公望(さいおんじきんもち)が亡くなりました。 西園寺公望は、明治時代後期の総理大臣で、最後の元老となった比較的現代に近い近代の政治家といったイメージがあります。 ところが、意外に思えるかもしれませんが、彼も幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた政治家の一人だったのです。
京都市東山区の円山公園近くに建つ長楽寺には、幕末、天皇を敬い外国人を日本から追い出そうという尊王攘夷(そんのうじょうい)運動が盛んだった水戸藩の関係者のお墓が多数あります。 この時期の水戸藩の活動は、明治維新に大きく貢献することになります。 ただ、当時活躍した水戸烈士たちは、幕末に命を落とした者が多く、あまり有名ではありません。 今回の記事では、長楽寺にひっそりと眠る水戸烈士たちのお墓を紹介します。
京都府乙訓郡大山崎町の天王山の山頂に「十七烈士の墓」があります。 天王山の史跡というと、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの碑が有名ですが、十七烈士の墓も幕末維新の史跡として重要なものです。
坂本竜馬は、日本で初めて新婚旅行をしたことで知られています。 旅行先は現在の鹿児島県です。 そして、竜馬の結婚相手は、お竜という女性。 竜馬とお竜が出会った場所は、現在の京都市東山区で、そこには土佐志士寓居跡の石碑が立っています。
京都市中京区に京都国際ホテルというホテルが建っています。 その京都国際ホテルの敷地の南西の端には、福井藩邸跡の石碑があります。 福井藩と言えば、幕末に藩主となった松平慶永(まつだいらよしなが)が有名です。 ちなみに松平慶永は、松平春嶽(しゅんがく)の名でも知られています。
幕末、京都の治安を守るために組織された新撰組は、その屯所を八木邸に置きました。 その後、手狭になったため西本願寺に屯所を移転し、さらに慶応3年(1867年)に新撰組は不動堂村に移り、そこに屯所を構えました。 以前にも新撰組の屯所については、このブログで紹介しましたが、不動堂村の屯所跡に新しく石碑が置かれたので、もう一度紹介しておきたいと思います。